臓器移植は医療ではない
ツナミンさんのブログ『イスマタリアン』に臓器移植の記事が出ていた。それによると現在の『脳死基準』を見直しをする。と。私は臓器移植は”医療行為”とは思えないので、移植医療に反対している。傷んだパーツを取り替える工場と同じである。臓器が提供されるということは、一人の人間の死がある。私はドナーになりたくない。様々な考え方があるだろうが、私は他人の臓器を貰ってまで生きようとは思わない。臓器移植しか助かる道がないと言われたら『断念』するだろう。
現在の『脳死判定』基準にも、納得できない。『脳死』をもって人の死とするのは早計すぎると思う。(かなり前の新聞記事だが)イギリスで脳死と判定された女性から臓器を取り出そうとメスを入れた途端に、血圧計の針が上昇し看護師が驚いた。という。この記事を読んで恐いと思った。本当に死んでいるか?どうか?現在の『脳死基準』で「死」と判定するには、不十分である。以前、立花隆氏の書いた『脳死』『脳死再論』を読んでその感をさらに強く持った。
『脳死』になったと判定する基準は(今、手元に資料がないんで書けないが)5~6項目あったようにおもう。立花隆著『脳死再論』はこれだけでは『脳死』とするには無理がある。本当に脳死かどうかを知るには、脳血流を調べることが必要である。と。しかし、現在の脳死判定基準には、脳血流を調べるという項目は入っていない。外見からは死んでいるように見えても、脳血流があればまだ生きている。意識も持っている、ただそれを顕わすことが出来ないだけなのだ。と。
考えれば考えるほど怖さが増してくる。生きて意識もある人間がメスを入れられて臓器をとられる。「いく ら止めて!助けて!私はまだ生きている!」と意識で思ってもそれを伝えることが出来ない。今までに脳死と判定されて臓器を取られた人が日本で何十にんいるか?分からないが、その中にはイギリスのようなケースもあったのではないか?
現在、脳死と判定されるようなケースであっても、低体温療法でかなりの人が助かるようになっている。(正確なデータは分からないが)そのことも考えると『脳死』を人の死とするのは、早計ではないか?移植医はなるべく新鮮な臓器が欲しいため、早めに脳死と判定するかも・・・。臓器移植はどう考えても医療行為と思えない。
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コメント
ツナミンさま
我が拙プログにお立ち寄り下さって有難う御座います。しかもコメントまで頂き感激です。ツナミンさんのブログにコメントを書こうとしたのですが・・・コメント書くようになっていませんでした。それで、我が拙拙プログに書いた次第です。
これからは、臓器移植より再生医療の方に力を入れて欲しいと願っているのですが・・・。
投稿: ゆうゆう | 2008年9月30日 (火) 08:50
こんばんは。
拙ブログに言及して下さりありがとうございます(今日気づきました)。
ご意見に全面的に賛成です。
私も脳死は人の死とは考えておらず、それゆえ「脳死」と判定された人からの臓器摘出は殺人だと思います。
ところで、これは私も最近知ったのですが、「脳死」者から臓器摘出をする際には、前もって筋弛緩剤や麻酔剤を打つことが一般化しているそうです。筋弛緩剤や麻酔剤を打たずに摘出しようとすると、ご指摘されているイギリスの事例のように、必ず血圧が急上昇し、「脳死者」はのたうちまわるそうです(小松美彦『自己決定権は幻想である』(洋泉社)参照)。
また、私は最近、帚木蓬生の『臓器農場』という小説を読みましたが、本書を読めば、医者でもある著者が臓器移植医療に大きな疑問を抱いていることもわかります。
投稿: ツナミン | 2008年9月29日 (月) 19:04