すくみ
ー意思と身体ー
ここのところ、すくみがよく起こる。今までも時々出ていたが薬が切れている時とか、不足している時に起こることが多かった。ところが最近のすくみは質が悪い。効いている時にも起こるのである。オンの時に起こる『すくみ』はやっかいなのだ。病気が進行する時に起こってくる。とか・・・。アリャリャリャ・・・困ったもんだ。進む病だから当然といえば当然なのだと思うものの・・・。
今朝から薬の服用法を変えてみている。(医師の処方量は守っている)1回に服用する量とか、時間とか調節しているのである。ここずっと1日、7回(2~3時間おき)でまあまあ調子よかった。順調な進行ぶりに複雑な思い。家の中でたった1m移動するのに10~15分近くかかる時もある。待てない時は膝をつき、いざっていく。それも難しい時は四つんばいになる。元はといえば我々の祖先もこんな時代を経て二本足であるくようになった。と思えば・・・腰痛は二本足であるくようになってから出現したのだ。そう考えると四つんばいも思ったほど悪くない。(最近、腰の痛みをあまり感じないのはそのせいかも・・・?)ついでに手と膝にダスキンモップ様のサポーターをつければ、拭き掃除の手間が省けるではないか!なかなか良いアイデアだと思うが如何なものであろう。母に言うと少しだけ笑ったような顔で歯切れ悪い口調で「そーうねえ、それもいいかもー?」と言った。
昔から「転んでもただでは起きない」という言葉があったが、私はどちらかと言えば「転んだとてただで起きる」性格であった。劣等感が強く消極的で言いたいことも言えない子供であった。(現在も基本的には変わっていないと思うが)しかし、齢50年以上も生きていると、生活の知恵、対人関係の構築などにおいて少しは、言うようになった。「沈黙は金」ではない。何事においてもどのような場面でも自分の意見を言う。言わないということは卑怯な態度ではないか。と思う。新聞の投書にしても何においてもまず、自分の名を名のる、信条を言う。そうでなければ同意するにも、反論しようにも相手が見えないことにはしようがないではないか。本当にいつもそうであったかどうか?分からないが武家政治の時代は、事を起こす時にまず己自身の名をなのり、○○○いう理由により成敗いたす。と前口上を言っていたのでは・・・?ないか。
話が横道にそれてしまった。それにしても自分の意思が思うように通じないこの身体は?どうしたものか?少々持て余している。平面を歩こうとするときにすくみは起こる。階段にくるとスースーと上がることが出来る。平面を歩こうとする時階段をイメージしてみるが、だめである。こうなれば家の中じゅう階段をつけようか?と思ったりしているきょうこの頃であるが・・・。10日前に植えたパセリの苗、またしても猫にやられてしまった。網をかけていたのに・・・ああーいまいましい猫め!何故苗にけものへんでネコと読むのだろう。
それにしても、動けないのは辛い。動こうとすると足がガクガクするばかりでトイレに行くのも一苦労である。もう、このままお昼までトイレに座っていたいような気分ではある。
食欲は人並みに(それ以上か?)あるのだけれど、動けない時間が多くなるとますますお腹ポッコリ、はいメタボ状態になるかも知れない。これ以上ウエストが大きくなると、穿くズボンがなくなる。現在上のボタンを外して履いているけれど・・・総ゴム製のズボンに替えなくては・・・。「すくみ」が多くなるにつれて「くすみ」がひどくなってくるのは何か関係あるのだろうか?神様、仏様、アラーの神様、八百万の神様、何とかなりません?か?


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