臓器移植について
臓器移植について、以前に”断念”することも必要ではないか。と書いた。
最近、現在の臓器移植法を改正しようという動きがさかんになってきた。それはWHOが「海外に渡り臓器移植を受けることを規制する決議を採択しようとしていたからだ。(今回は先送りになったが、いずれ採択されるだろう。)そうなれば、15歳未満の子供の移植の道は閉ざされることになる。日本の現行移植法は「15歳未満からの臓器提供は不可」となっているからである。唯一の道は外国に渡り、臓器を提供してくれる人が現れるのを待つ。ただただ自分に適合したドナーが現れる(死ぬ)のを待つしかない。
15歳以下の子供が移植でしか助からないとわかった時、ある親は1億円近い費用をかけて、外国に行くだろう。しかし、そのようなことが出来る人は限られている。それらの背景があって「臓器移植法」の見直しをしようという動きが、活発になってきたと思う。ほかにも理由はあるだろうが・・・それらすべて書いていると膨大な文章になると思うので敢えて触れないことにする。
私の臓器移植に対する考えは
1、臓器移植は医療行為だと思わない
2、脳死を人の死とすることに反対
上記2点である。だから当然だが自分が脳死状態になっても臓器をあげたくない、移植しか助からない病になっても他人の臓器を貰うこともしない。(眼ならばアイバンクに登録してもいいと思っている。)今回の改正案は4つ出されている。現行法は1997年に竹内基準をもとにして作られた。
脳死の位置付け→本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ「人の死」とする。
提供条件 →家族の同意必要
子供からの臓器提供→不可
となっている。今回4つの改正案が出されているが、現行の法と対極の位置にある案が、採用される可能性がかなり強い。(A案)
A案 脳死の位置づけ→脳死は一律に「人の死」とする。
提供条件 →本人に拒否の意思がなく家族の同意があれば可
子供からの提供→〇歳から可能
となっている。このA案をみて恐ろしいと思うのは私だけであろうか?日本での脳死の定義は『脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に(回復不能な段階)停止するに至ったと判定された状態』となっている。脳幹を含む全脳の機能が回復不可能な段階になったことを、すべて調べることが出来るのであろうか?「脳死」と判定され、麻酔なしでメスをいれた途端に血圧が上がり、汗や涙を流したという報告も少なからずある。また「ラザロ徴候現象」も、日本を含む各国で多数、報告されている。
*ラザロ徴候・・・脳死患者が医師の眼の前で突然、両手を持ち上げ胸の前に合わせて 祈るような動作をする。動作後自分で手を元の位置に戻す。
これらは何で、どうして起こるのだろうか?血圧が上がったり、汗を流したりするのは生体反応ではないのか?素人である私にはわからない。日本で1997年に「臓器移植に関する法律」が出来てから、今日まで約80例の脳死移植が行われたという。その80例すべて全脳が不可逆的停止状態であったのだろうか?と思う。立花隆氏は「機能死」から「気質死」に死の定義を切り替えることを提案している。その方法として『脳血流』を調べることをあげている。脳血流が停止すれば脳細胞の死滅が始まる。(気質的な死)その時点を「脳死の定義」とせよと。脳血流の有無を調べることは厳密な死の定義のためには必要だと述べている。脳死は人の死と思わない私には関係ないが、立花氏の考えは妥当ではないかと思う。
脳死は臓器移植を可能にするために出てきた考え方である。古来人間の死は、肺機能の停止、心臓機能の停止、脳機能の停止をもって「死」と確認されてきた。臓器移植に都合がいいように、従来からあった『死の定義』を簡単に変えてしまっていいのだろうか?私は『否』と言いたい。
子供からの提供条件は0歳から可能となっている。子供の脳は現代の科学をもってしてもわからないことが多い。以前テレビで見たこと。凍った湖に子供が落ち沈んでしまった。(4~5歳くらい)1時間後レスキュー隊が救助した時は、完全に心肺停止状態であった。それでも諦めず懸命に蘇生作業を行っていた。しかし、心臓は動かない。懸命に救命に努めている人々の中に、諦めと疲れが出始めていた。そんな状況のなか、子供の心臓が動き始めたのである。常識的に考えるとありえないことかもしれない。また、移植に積極的な考えを持っている医者だったら、もっと早めに「脳死宣告」をしていたかもしれない。最後にその子供が現在何の後遺症もなく元気に遊んでいる姿が映されていた。
上記の例から考えると、子供の脳は現代医学ではわからないほど強い再生力や、秘めた大きな力を持っていると思う。移植医療に積極的な考えを持っている医者と、そうでない医者とで治療打ち切りのタイミングが微妙に違ってくるのではないか?という疑念も浮かぶ。脳死移植後の生存率は、拒否反応を抑えるよい免疫抑制剤の登場でかなり伸びたそうである。(アメリカのデータ・1年後、79,4%、5年後・65,2%、10年後・45,8%)
脳低体温療法の出現
日大付属板橋病院救命救急センター長・林成之教授により確立された療法である。今までなら「脳死」に陥っていたであろう人が助かるようになってきたのである。「蘇生限界点」が動いたのである。従来は脳死に陥るほかなかった多くの患者を救命できるだけでなく、脳機能もかなりの程度まで回復させることができるようになった。(脳死は避けられないと思われた外傷患者75人中56人の救命に成功し、75人中36人は日常生活が可能になるまでに回復した。)その結果、脳死からの臓器不足は増すであろう。脳低体温療法の出現は、「脳死を人の死」と考える人たちに重大kな問題を投げかけていると思う。
断念するということ
私は14年前に「パーキンソン病」と診断された。歩みは遅いが進行する病である。当時読んだ専門書に「年々、進行していきやがて寝たきりになる」と書かれていた。原因も分からない、治療法もない進行性の病ということを考えると、暗澹とした気持になった。しかし10年も経てば、何らかの治療法が見つかるだろう。とかすかな希望を持った。それから14年経ったが、今日に至るまで原因はおろか、治療法も見つかっていない。(2~3種類の)症状を抑える薬が出たのみである。原因がわからなければ治療法も確立出来ないだろう。脳のことはなかなかわからない。ならばいくらジタバタしても始まらない。なるようにしかならない。このような病になったことを仕方ないと諦めるか(断念)、開き直るか、どちらかしかないのである。
現代の医学ではどうしようもない病はたくさんある。1年で10歳づつ身体が老化していく早老症」の子供のドキュメンタリー番組を見た。全世界でも800人ほどしかいない病だとか・・・ふつうは生まれてから7、8年で死んでしまうそうである。彼女は高校まで行き卒業を目前にしてなくなった。これほどまで生きた例はないとのことであった。その彼女が同じ病のお友達から言われた言葉。
「どれだけ長く生きたかは、問題ではないよ。どう生きたかが大切だよ。」
臓器をあげたいと思う人は、あげればいいと思う。もらうのもあげるのも、個人の自由意思においてなされるならば・・・。最後の最後まで懸命に患者の命を救うことに最善の努力をする医者ならば・・・。これだけはさいてい守ってほしいと思う。


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