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2009年8月の記事

2009年8月27日 (木)

背景チェンジ

庭の木から「つくつく法師」の鳴き声が聞こえてくるようになった。この蝉の声を聞くと昔は何だかそわそわとすると同時に、いまいましさを感じた。それは夏休みの終わりが近いことを思い知らせるからであった。たくさん出された宿題がほとんど手つかずでおいてあった。今でも宿題は沢山でるのだろうか?このように言う先生はいないのかしら?

「宿題はひとつだけです。思いきり遊んで黒くなって下さい。出来れば作文か、絵に描いてきてください。」いないだろうなー・・・。

背景を変えました。今までのはバレンタインデーをイメージしたものでした。今度のは昔人気があったNテレビ「ひょっこりひょうたん島」を思いだしたのでこれにしました。ドン・ガバチョとか…おもしろかった。うれしいこともあるだろうさ、かなしいこともあるだろうさ、だけど僕らはくじけない。泣くのは嫌だ笑っちゃおう。進めひょっこりひょうたん島。

8月30日は自公政治をチェンジさせましょう。変わりうる党がない。そうかもしれませんがとにかくチェンジをしなければ。。。

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2009年8月25日 (火)

おかしい?おかしい?おかしいなー!

昔、某歌手が歌っていた。

バラが咲いた、バラが咲いた

真っ赤なバラが、淋しかった僕の庭に

バラが咲いた たったひとつ咲いたバラ

小さなバラで 淋しかった僕の庭が

明るくなった

バラよバラよ 小さなバラ

そのままで そこに咲いてておくれ・・・

替え唄

選挙が来た選挙が来た 衆議院選挙だ 自公連立数でごり押し 好き放題

おごれる自民ゴマする公明 いつまで続く 奢れるものはいつか滅ぶ

その時がきた

バカねバカねおバカさんね

そのままでそこに立ってりゃいいわ

バカよさらばバカよさらばバイバイバイバイバイ

たまにはいいさ野に下るのもいいものさ

(祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・・盛者必衰の理を著わす・・・ただ春の夜の夢のごとし・・・。)

お知らせ

8月30日の衆議院選挙、棄権しないで行きましょう。

それにしても、多くの候補者が「無駄使いを徹底的に見直して・・・」と言っているのに、議員の数を減らそうという主張はあまり聞かない。国会議員数が多いのも大いなる無駄使いだと思うけれど・・・。おかしいなあー?

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2009年8月14日 (金)

最近読んだ本から

私が尊敬し、信頼しているJ大学病院の先生が編集された本が発売された。少し高いと思ったが(我が家の経済状態からすると・・・エンゲル係数がかなり高い)思い切って購入した。『ここまでわかったパーキンソン病研究』という本である。私がPD病と診断されてから8月9日でちょうど14年になる。その日はとても暑い日でアスファルトの道路から陽炎が立ちのぼっていた。そしてその日は長崎に2回目の原子爆弾が投下された日であった。私にしてみれば、「パーキンソンです。」という宣言は原爆と同じくらいの衝撃であった。

それから14年経った。私に診断を下した医者は簡単そうに「10年は大丈夫!それまでにはいい治療法も出来るよ。」と笑いながら言った。それから14年経つが2~3種類の対症療法的な薬が出てきたのみで、進行を食い止めることも、治すこともできない。原因すら特定できていないのである。この本の編集者でもあるJ大学病院のH・Nドクターは「患者さんのために世界中の研究者が日夜原因解明に向けて、根治的な治療法を模索しています。」と言われた。そのドクターの序文。

ー抜粋ー

パーキンソン病は運動障害のみならず非運動症状も注目されている。・・・・・認知症の合併も多く神経変性疾患としてはアルツハイマー病についで頻度が高い。(アルツハイマー病との関連性も検討されている。)・・・・・またドパミン神経細胞の脱落がパーキンソニズムの発現に寄与していることから、最近注目されている万能細胞の治療ターゲットに、パーキンソン病がなると強調されている。万能細胞の臨床応用の早期実現はパーキンソン病患者から強い要望があることから、その病態解明は焦眉の急であるといえる。

薬物療法に関しては全て対症療法であり、神経保護薬など進行阻止可能な薬剤の開発は臨床応用まで至っていない。パーキンソン病は他の神経変性疾患に比べると病態解明と進歩がみられる。しかし、その原因の全貌解明までは、依然遠いという感があるのは否めない。一刻も早く進行阻止可能な新規治療や根治治療法が実現することを願ってやまない。

世界中の研究者が日夜努力していても、14年前と実情は変わっていない。それだけ脳は複雑かつ精密であるということだろう。上記の文を読むと落胆気味になるが、希望を捨ててはいけない。いつ画期的な治療法が見つかるかもわからないのである。特に遺伝子治療などは既に(自治医科大学で)人への臨床試験が始まっているという。残された課題は(クリアしなければいけないこと)多いけれど、明日を信じ、希望を持って、一喜一憂しないで待っていようと思う。「信じること、諦めないこと。」です。この本の編集者であるドクターも、いつもそう言って私を励まして下さいました。

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2009年8月 8日 (土)

臓器移植について・・・。

ーある分子生物学者の思いー

最近、続けて同じ人が書いた本を読んだ。福岡伸一という分子生物学者のほんである。1冊目はサントリー学芸賞受賞作『生物と無生物の間』、2冊目は『動的平衡』である。生物学者であるが、文章が上手く心象風景などの表現もなかなかである。その彼が週刊誌にコラムを書いている。保険薬局においてあるのをめくっていたら出ていたのである。私が以前、言わんとして上手く表現出来なかった事が的確な文で書かれていた。

抜粋しておく。週刊誌『文春』ー福岡ハカセのパ・ラレルターンー

移植法改正への危惧

前略ーずっと生命のことを考えてきた立場からすれば、端的にいって、臓器移植という行為にかぎりない危惧を感じる。生命を構成する細胞は互いに関係しあっている。それゆえ生命は身体全体に宿っていると考えるからである。しかもそれは常に互いに運動しつつバランスをとっている。つまり動的平衡の状態にある。あえて臓器を切り取れば、その平衡は完全に失われ、死体と見なされた身体はほんとうに死ぬ。そして無理矢理、新しい臓器をはめ込まれた、別の動的平衡は大きくかく乱される。そしてバランスを何とか取り戻そうと反作用を起こす。その結果、激しい拒絶作用や炎症反応がもたらされる。これを抑えるため、強力な免疫抑制剤が投与される。つまり動的平衡は二重に干渉を受ける。それでも身体は新しくはめ込まれた異物に対し、ある種の寛容さを示して、なんとか生きながらえるかもしれない。しかしそれは臓器移植の有用性が証明されたというよりは、むしろ動的平衡としての生命が強靭で、可塑的なものであることが示されたにすぎない。

そもそも全体として恒常性を保っている身体には、切り取れる「部分」も、交換できるパーツも本来は存在しない。臓器がモジュールのように外から組み込まれた機能単位に見えるのは、私たちの生命観がそうみなしているからだ。たとえば今、ブラック・ジャックのような天才外科医が現れ、鼻の移植を試みたとしよう。顔の真ん中の三角形を切り取ったとして、彼のメスはどれくらい奥深く鼻をえぐり取ってくれば、鼻という機能単位、つまり嗅覚をつかさどるボディパーツを身体から切り離すことができるだろうか。鼻の穴の奥の天井には、無数の匂いレセプターが存在している。そこから神経線維が何万本も脳へと伸びている。そしてそこからまた無数の神経線維が、顔や手足の筋肉や、皮膚に伸び、連結している。もしいい匂いなら近づいて手に取る。いやなにおいなら逃げる。つまり嗅覚という機能はあるパーツに局在しているのではなく、全体に広がっている。だからそれを切り出してくることは本来できない。無理に行えば、動的平衡の連関が切断される。これは一見、独立した個物のように見える他の臓器、心臓や肝臓や膵臓や腎臓についてもいえる。心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している。切り取った心臓は、その移植先ですべての関係性を取り戻すことは決してない。

日本ではこれまでに81例の臓器移植が実施された。移植法を見直すのであれば、まずこれらについて十分な有効性が検証され、またそれぞれのケースでドナー、レシピエント双方が何をどう感じ、今どのように考えているのか。きめ細かい調査が必要であろう。ー後略ー

まったくその通りだと思う。このように的確な表現(文章が)は読む人を納得させる。(福岡氏の文章は生物学者だけでなく、文学者としての感性もあわせもっている。)私の言いたかったのもまさにこういうことなのだ。

選挙には棄権しないで行きましょう。例え民主党があまりぱっとしなくても・・・とにかく1度チェンジしなければ・・・そして解散前に採決された臓器移植法案を1度廃案にしましょう。棄権する人には何も文句を言う資格はありません。

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