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2009年8月 8日 (土)

臓器移植について・・・。

ーある分子生物学者の思いー

最近、続けて同じ人が書いた本を読んだ。福岡伸一という分子生物学者のほんである。1冊目はサントリー学芸賞受賞作『生物と無生物の間』、2冊目は『動的平衡』である。生物学者であるが、文章が上手く心象風景などの表現もなかなかである。その彼が週刊誌にコラムを書いている。保険薬局においてあるのをめくっていたら出ていたのである。私が以前、言わんとして上手く表現出来なかった事が的確な文で書かれていた。

抜粋しておく。週刊誌『文春』ー福岡ハカセのパ・ラレルターンー

移植法改正への危惧

前略ーずっと生命のことを考えてきた立場からすれば、端的にいって、臓器移植という行為にかぎりない危惧を感じる。生命を構成する細胞は互いに関係しあっている。それゆえ生命は身体全体に宿っていると考えるからである。しかもそれは常に互いに運動しつつバランスをとっている。つまり動的平衡の状態にある。あえて臓器を切り取れば、その平衡は完全に失われ、死体と見なされた身体はほんとうに死ぬ。そして無理矢理、新しい臓器をはめ込まれた、別の動的平衡は大きくかく乱される。そしてバランスを何とか取り戻そうと反作用を起こす。その結果、激しい拒絶作用や炎症反応がもたらされる。これを抑えるため、強力な免疫抑制剤が投与される。つまり動的平衡は二重に干渉を受ける。それでも身体は新しくはめ込まれた異物に対し、ある種の寛容さを示して、なんとか生きながらえるかもしれない。しかしそれは臓器移植の有用性が証明されたというよりは、むしろ動的平衡としての生命が強靭で、可塑的なものであることが示されたにすぎない。

そもそも全体として恒常性を保っている身体には、切り取れる「部分」も、交換できるパーツも本来は存在しない。臓器がモジュールのように外から組み込まれた機能単位に見えるのは、私たちの生命観がそうみなしているからだ。たとえば今、ブラック・ジャックのような天才外科医が現れ、鼻の移植を試みたとしよう。顔の真ん中の三角形を切り取ったとして、彼のメスはどれくらい奥深く鼻をえぐり取ってくれば、鼻という機能単位、つまり嗅覚をつかさどるボディパーツを身体から切り離すことができるだろうか。鼻の穴の奥の天井には、無数の匂いレセプターが存在している。そこから神経線維が何万本も脳へと伸びている。そしてそこからまた無数の神経線維が、顔や手足の筋肉や、皮膚に伸び、連結している。もしいい匂いなら近づいて手に取る。いやなにおいなら逃げる。つまり嗅覚という機能はあるパーツに局在しているのではなく、全体に広がっている。だからそれを切り出してくることは本来できない。無理に行えば、動的平衡の連関が切断される。これは一見、独立した個物のように見える他の臓器、心臓や肝臓や膵臓や腎臓についてもいえる。心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している。切り取った心臓は、その移植先ですべての関係性を取り戻すことは決してない。

日本ではこれまでに81例の臓器移植が実施された。移植法を見直すのであれば、まずこれらについて十分な有効性が検証され、またそれぞれのケースでドナー、レシピエント双方が何をどう感じ、今どのように考えているのか。きめ細かい調査が必要であろう。ー後略ー

まったくその通りだと思う。このように的確な表現(文章が)は読む人を納得させる。(福岡氏の文章は生物学者だけでなく、文学者としての感性もあわせもっている。)私の言いたかったのもまさにこういうことなのだ。

選挙には棄権しないで行きましょう。例え民主党があまりぱっとしなくても・・・とにかく1度チェンジしなければ・・・そして解散前に採決された臓器移植法案を1度廃案にしましょう。棄権する人には何も文句を言う資格はありません。

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