カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2009年8月27日 (木)

背景チェンジ

庭の木から「つくつく法師」の鳴き声が聞こえてくるようになった。この蝉の声を聞くと昔は何だかそわそわとすると同時に、いまいましさを感じた。それは夏休みの終わりが近いことを思い知らせるからであった。たくさん出された宿題がほとんど手つかずでおいてあった。今でも宿題は沢山でるのだろうか?このように言う先生はいないのかしら?

「宿題はひとつだけです。思いきり遊んで黒くなって下さい。出来れば作文か、絵に描いてきてください。」いないだろうなー・・・。

背景を変えました。今までのはバレンタインデーをイメージしたものでした。今度のは昔人気があったNテレビ「ひょっこりひょうたん島」を思いだしたのでこれにしました。ドン・ガバチョとか…おもしろかった。うれしいこともあるだろうさ、かなしいこともあるだろうさ、だけど僕らはくじけない。泣くのは嫌だ笑っちゃおう。進めひょっこりひょうたん島。

8月30日は自公政治をチェンジさせましょう。変わりうる党がない。そうかもしれませんがとにかくチェンジをしなければ。。。

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2009年8月25日 (火)

おかしい?おかしい?おかしいなー!

昔、某歌手が歌っていた。

バラが咲いた、バラが咲いた

真っ赤なバラが、淋しかった僕の庭に

バラが咲いた たったひとつ咲いたバラ

小さなバラで 淋しかった僕の庭が

明るくなった

バラよバラよ 小さなバラ

そのままで そこに咲いてておくれ・・・

替え唄

選挙が来た選挙が来た 衆議院選挙だ 自公連立数でごり押し 好き放題

おごれる自民ゴマする公明 いつまで続く 奢れるものはいつか滅ぶ

その時がきた

バカねバカねおバカさんね

そのままでそこに立ってりゃいいわ

バカよさらばバカよさらばバイバイバイバイバイ

たまにはいいさ野に下るのもいいものさ

(祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・・盛者必衰の理を著わす・・・ただ春の夜の夢のごとし・・・。)

お知らせ

8月30日の衆議院選挙、棄権しないで行きましょう。

それにしても、多くの候補者が「無駄使いを徹底的に見直して・・・」と言っているのに、議員の数を減らそうという主張はあまり聞かない。国会議員数が多いのも大いなる無駄使いだと思うけれど・・・。おかしいなあー?

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2009年8月 8日 (土)

臓器移植について・・・。

ーある分子生物学者の思いー

最近、続けて同じ人が書いた本を読んだ。福岡伸一という分子生物学者のほんである。1冊目はサントリー学芸賞受賞作『生物と無生物の間』、2冊目は『動的平衡』である。生物学者であるが、文章が上手く心象風景などの表現もなかなかである。その彼が週刊誌にコラムを書いている。保険薬局においてあるのをめくっていたら出ていたのである。私が以前、言わんとして上手く表現出来なかった事が的確な文で書かれていた。

抜粋しておく。週刊誌『文春』ー福岡ハカセのパ・ラレルターンー

移植法改正への危惧

前略ーずっと生命のことを考えてきた立場からすれば、端的にいって、臓器移植という行為にかぎりない危惧を感じる。生命を構成する細胞は互いに関係しあっている。それゆえ生命は身体全体に宿っていると考えるからである。しかもそれは常に互いに運動しつつバランスをとっている。つまり動的平衡の状態にある。あえて臓器を切り取れば、その平衡は完全に失われ、死体と見なされた身体はほんとうに死ぬ。そして無理矢理、新しい臓器をはめ込まれた、別の動的平衡は大きくかく乱される。そしてバランスを何とか取り戻そうと反作用を起こす。その結果、激しい拒絶作用や炎症反応がもたらされる。これを抑えるため、強力な免疫抑制剤が投与される。つまり動的平衡は二重に干渉を受ける。それでも身体は新しくはめ込まれた異物に対し、ある種の寛容さを示して、なんとか生きながらえるかもしれない。しかしそれは臓器移植の有用性が証明されたというよりは、むしろ動的平衡としての生命が強靭で、可塑的なものであることが示されたにすぎない。

そもそも全体として恒常性を保っている身体には、切り取れる「部分」も、交換できるパーツも本来は存在しない。臓器がモジュールのように外から組み込まれた機能単位に見えるのは、私たちの生命観がそうみなしているからだ。たとえば今、ブラック・ジャックのような天才外科医が現れ、鼻の移植を試みたとしよう。顔の真ん中の三角形を切り取ったとして、彼のメスはどれくらい奥深く鼻をえぐり取ってくれば、鼻という機能単位、つまり嗅覚をつかさどるボディパーツを身体から切り離すことができるだろうか。鼻の穴の奥の天井には、無数の匂いレセプターが存在している。そこから神経線維が何万本も脳へと伸びている。そしてそこからまた無数の神経線維が、顔や手足の筋肉や、皮膚に伸び、連結している。もしいい匂いなら近づいて手に取る。いやなにおいなら逃げる。つまり嗅覚という機能はあるパーツに局在しているのではなく、全体に広がっている。だからそれを切り出してくることは本来できない。無理に行えば、動的平衡の連関が切断される。これは一見、独立した個物のように見える他の臓器、心臓や肝臓や膵臓や腎臓についてもいえる。心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している。切り取った心臓は、その移植先ですべての関係性を取り戻すことは決してない。

日本ではこれまでに81例の臓器移植が実施された。移植法を見直すのであれば、まずこれらについて十分な有効性が検証され、またそれぞれのケースでドナー、レシピエント双方が何をどう感じ、今どのように考えているのか。きめ細かい調査が必要であろう。ー後略ー

まったくその通りだと思う。このように的確な表現(文章が)は読む人を納得させる。(福岡氏の文章は生物学者だけでなく、文学者としての感性もあわせもっている。)私の言いたかったのもまさにこういうことなのだ。

選挙には棄権しないで行きましょう。例え民主党があまりぱっとしなくても・・・とにかく1度チェンジしなければ・・・そして解散前に採決された臓器移植法案を1度廃案にしましょう。棄権する人には何も文句を言う資格はありません。

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2009年7月15日 (水)

命の価値

人間の価値は何によって決まるのだろうか?

昨日、『新臓器移植法』が成立した。直前まで「慎重な審議の必要がある」とか「子供脳死臨調の設置を」とか「一律に脳死を人の死としてもいいのか?」などと、反対の姿勢を示していた議員達も沢山いた。解散、総選挙が現実的になってきたら『人の命より政治日程のほうが大事』なのだ。衆議院では自民党202人が賛成。参議院でA案の投票総数、220票(人)のうち賛成138票、反対82票で、「脳死は一律に人の死」とする恐ろしい『臓器移植法』が成立。『子供脳死臨調設置法案』はA案成立により採決されないまま廃案となった。

A案に賛成票を投じた議員は、自分か身内の者が「脳死状態です。臓器提供を」と言われたら「はい、喜んで提供いたします。」と言えるのだろうか?言わなければならない、言う義務があるだろう。「脳死は人の死であり、本人の意思が不明な場合でも、家族の承認で、しかも0歳児からも臓器摘出が出来る」A案に賛成したのだから言うべきである。

このA案の臓器移植法が成立したことは、移植を薦める患者団体、医者にとっては喜ばしいことかもしれないだろうが、人工呼吸器で生きている人達や、難病を抱えている人達、その他、障害を持っている人間にとって他人事とは思えないのである。病で何も出来なくなれば人間としての価値はないと思われることになるのではないか。という不安が大きくなるのである。

何も出来ないから人間としての価値がないのであろうか?人間の価値とは?何をもって価値に差をつけることができるのだろう?何の役にも立たない人間などいない、一人としていない。臓器移植が脳死段階で可能になれば、人工呼吸器をつけた人間は移植に熱心な医者からみれば、死人に見えるだろう。いわゆる何の価値もない存在だと・・・。「そのような人間はさっさと臓器を取り出してしまおう、そのほうが世のため、人のために役に立つ」と思っても不思議ではない。しかし、脳死と宣告された子供は段々と体重も増加し、髪も伸び、身長も伸びていく。そんな様子を見ている親にむかって「脳死ですから臓器提供を」などと言えるだろうか?親からすれば医者が禿鷹かハイエナのように見えるだろう。

現在、(日本国内で)臓器移植でしか助からない人がどれくらいいるのか?失念したが、千人もいなかったと思う。他の病気で助かるみこみのない、死に直面している人は数え切れない。「臓器を!早く臓器を」とばかり言う患者さん、及び家族の方たちのエゴイステックな考えは傲慢なような気がする。あえて言うならばたった千人ばかりの為に、従来からあった「死の定義」をそのように簡単に変えてしまっていいのだろうか?臓器は部品ではない。自動車の部品のように簡単に付け替えられるほど、単純な物ではないのである。臓器といえどもその人に合った個性を持ったその人の一部分なのである。拒否反応が如実にそのことを物語っているではないか。現在の人間の身体は38億年をかけて最適化されて出来たものである。移植しなければ助からない病になったなら運命と思って受け入れる他はない。他人の死を待って、脳死になればなるべく新鮮な臓器を取り出すような行為は医療行為とは、どうしても思えない。

人間の生・死より政治の日程を優先させて、いとも簡単に「死の定義」を替えてしまう政治家。その節操のなさに情けなさを通り越して、呆れるばかり。何が大切か、どの法案が優先されるべきか?小学生でもわかりそうなことがわからない程度の低い政治屋が、こんなにも多くいる、日本丸は沈没してしまうのではないかと・・・不安になります。

廃案となった主な法案

・被用者年金一元化法案

・労働者派遣法

・公務員制度改革関連法案

・障害者自立支援法改正案

・貨物検査特別措置法案  などなど

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2009年6月11日 (木)

最近読んだ本から

臓器移植論議が(臓器移植法改正)かます厳しい。私は臓器移植は医療行為と思っていない。そして『脳死をもって人の死とする』ことに、反対している。先に書いた『臓器移植』の中で何故?そのように思うのか?という明確な答えを述べることが出来なかった。ただ現在の技術では脳機能が全て停止したことを調べることが出来ない。ということしか述べることが出来なかった。最近読んだ本に脳死=人の死ではない。と何故言えるのか?という問いに対して答えられる・・・というかヒントを与えてくれる本に出会った。その中から関連ありそうな文を抜粋してみる。

題名『動的平衡』、著者・福岡伸一

ー命はなぜそこに宿るのかー

「合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、命は環境に適用するよう自分自身の状態を調節できる、これはまさに『生きている』ということと同義語である。」

「仮にその生命が機械的構造を有しているとしても、それは昨日今日作られた機械ではない。38億年をかけて改良を積み重ねた生命の歴史の完成形として存在しているのである。つまり、38億年の最適化の結果なのだ。これを入れ替えたり、作り変えたりしても、完成形をさらに良くすることは簡単ではあるまい。」

「生命は機械のようにいくつもの部品を組み立てただけで成り立っているわけではない。生物を物質のレベルからだけ考えると、ミクロなパーツからなるプラモデルに見えてしまう。しかし、パーツとパーツの間にはエネルギーと情報がやりとりされている。

「生命を部品の集合体という物質のレベルでのみ考えると、時間の重要性を見失ってしまう。それだけではない。ある部分を差し替えれば、より効率が上がるとか、特別な効果が期待できるという機械的な思考で生命を捉えてしまう落とし穴もここにある。」

「生命とは機械ではない。そこには機械とはまったく違うダイナミズムがある。生命の持つ柔らかさ、可変性、そして全体としてのバランスを保つ機能ーそれを私は『動的な平衡状態』と呼びたい」

デカルトの罪→生命現象は全て機械論的に説明可能と。この考え方が現在にも及んでいる。生命を解体し、発生を操作し、場合によっては商品化さえ行う。・・・・・効率的な臓器移植を推進するために死の定義が前倒しされ、・・・・このような行為が果たして私たちの未来を幸福なものにしてくれるだろうか?」

「遺伝子組み換え技術は期待されたほど農作物の増収につながらず、臓器移植はいまだ決定的に有効といえるほどの延命医療とはなっていない・・・・・こうした数々の事例は、動的な平衡系としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように思えてならない。」

「私たちにできることはごく限られている。生命現象がその本来の仕組みを滞りなく発揮できるように、十分なエネルギーと栄養を摂り、サスビナビリティを阻害するような人為的な因子やストレスをできるだけ避けることである。」

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2009年5月27日 (水)

臓器移植について

臓器移植について、以前に”断念”することも必要ではないか。と書いた。

最近、現在の臓器移植法を改正しようという動きがさかんになってきた。それはWHOが「海外に渡り臓器移植を受けることを規制する決議を採択しようとしていたからだ。(今回は先送りになったが、いずれ採択されるだろう。)そうなれば、15歳未満の子供の移植の道は閉ざされることになる。日本の現行移植法は「15歳未満からの臓器提供は不可」となっているからである。唯一の道は外国に渡り、臓器を提供してくれる人が現れるのを待つ。ただただ自分に適合したドナーが現れる(死ぬ)のを待つしかない。

15歳以下の子供が移植でしか助からないとわかった時、ある親は1億円近い費用をかけて、外国に行くだろう。しかし、そのようなことが出来る人は限られている。それらの背景があって「臓器移植法」の見直しをしようという動きが、活発になってきたと思う。ほかにも理由はあるだろうが・・・それらすべて書いていると膨大な文章になると思うので敢えて触れないことにする。

私の臓器移植に対する考えは

1、臓器移植は医療行為だと思わない

2、脳死を人の死とすることに反対

上記2点である。だから当然だが自分が脳死状態になっても臓器をあげたくない、移植しか助からない病になっても他人の臓器を貰うこともしない。(眼ならばアイバンクに登録してもいいと思っている。)今回の改正案は4つ出されている。現行法は1997年に竹内基準をもとにして作られた。

脳死の位置付け→本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ「人の死」とする。

提供条件    →家族の同意必要

子供からの臓器提供→不可       

となっている。今回4つの改正案が出されているが、現行の法と対極の位置にある案が、採用される可能性がかなり強い。(A案)

A案 脳死の位置づけ→脳死は一律に「人の死」とする。

   提供条件    →本人に拒否の意思がなく家族の同意があれば可

  子供からの提供→〇歳から可能

となっている。このA案をみて恐ろしいと思うのは私だけであろうか?日本での脳死の定義は『脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に(回復不能な段階)停止するに至ったと判定された状態』となっている。脳幹を含む全脳の機能が回復不可能な段階になったことを、すべて調べることが出来るのであろうか?「脳死」と判定され、麻酔なしでメスをいれた途端に血圧が上がり、汗や涙を流したという報告も少なからずある。また「ラザロ徴候現象」も、日本を含む各国で多数、報告されている。

*ラザロ徴候・・・脳死患者が医師の眼の前で突然、両手を持ち上げ胸の前に合わせて  祈るような動作をする。動作後自分で手を元の位置に戻す。

これらは何で、どうして起こるのだろうか?血圧が上がったり、汗を流したりするのは生体反応ではないのか?素人である私にはわからない。日本で1997年に「臓器移植に関する法律」が出来てから、今日まで約80例の脳死移植が行われたという。その80例すべて全脳が不可逆的停止状態であったのだろうか?と思う。立花隆氏は「機能死」から「気質死」に死の定義を切り替えることを提案している。その方法として『脳血流』を調べることをあげている。脳血流が停止すれば脳細胞の死滅が始まる。(気質的な死)その時点を「脳死の定義」とせよと。脳血流の有無を調べることは厳密な死の定義のためには必要だと述べている。脳死は人の死と思わない私には関係ないが、立花氏の考えは妥当ではないかと思う。

脳死は臓器移植を可能にするために出てきた考え方である。古来人間の死は、肺機能の停止、心臓機能の停止、脳機能の停止をもって「死」と確認されてきた。臓器移植に都合がいいように、従来からあった『死の定義』を簡単に変えてしまっていいのだろうか?私は『否』と言いたい。

子供からの提供条件は0歳から可能となっている。子供の脳は現代の科学をもってしてもわからないことが多い。以前テレビで見たこと。凍った湖に子供が落ち沈んでしまった。(4~5歳くらい)1時間後レスキュー隊が救助した時は、完全に心肺停止状態であった。それでも諦めず懸命に蘇生作業を行っていた。しかし、心臓は動かない。懸命に救命に努めている人々の中に、諦めと疲れが出始めていた。そんな状況のなか、子供の心臓が動き始めたのである。常識的に考えるとありえないことかもしれない。また、移植に積極的な考えを持っている医者だったら、もっと早めに「脳死宣告」をしていたかもしれない。最後にその子供が現在何の後遺症もなく元気に遊んでいる姿が映されていた。

上記の例から考えると、子供の脳は現代医学ではわからないほど強い再生力や、秘めた大きな力を持っていると思う。移植医療に積極的な考えを持っている医者と、そうでない医者とで治療打ち切りのタイミングが微妙に違ってくるのではないか?という疑念も浮かぶ。脳死移植後の生存率は、拒否反応を抑えるよい免疫抑制剤の登場でかなり伸びたそうである。(アメリカのデータ・1年後、79,4%、5年後・65,2%、10年後・45,8%)

脳低体温療法の出現

日大付属板橋病院救命救急センター長・林成之教授により確立された療法である。今までなら「脳死」に陥っていたであろう人が助かるようになってきたのである。「蘇生限界点」が動いたのである。従来は脳死に陥るほかなかった多くの患者を救命できるだけでなく、脳機能もかなりの程度まで回復させることができるようになった。(脳死は避けられないと思われた外傷患者75人中56人の救命に成功し、75人中36人は日常生活が可能になるまでに回復した。)その結果、脳死からの臓器不足は増すであろう。脳低体温療法の出現は、「脳死を人の死」と考える人たちに重大kな問題を投げかけていると思う。

断念するということ

私は14年前に「パーキンソン病」と診断された。歩みは遅いが進行する病である。当時読んだ専門書に「年々、進行していきやがて寝たきりになる」と書かれていた。原因も分からない、治療法もない進行性の病ということを考えると、暗澹とした気持になった。しかし10年も経てば、何らかの治療法が見つかるだろう。とかすかな希望を持った。それから14年経ったが、今日に至るまで原因はおろか、治療法も見つかっていない。(2~3種類の)症状を抑える薬が出たのみである。原因がわからなければ治療法も確立出来ないだろう。脳のことはなかなかわからない。ならばいくらジタバタしても始まらない。なるようにしかならない。このような病になったことを仕方ないと諦めるか(断念)、開き直るか、どちらかしかないのである。

現代の医学ではどうしようもない病はたくさんある。1年で10歳づつ身体が老化していく早老症」の子供のドキュメンタリー番組を見た。全世界でも800人ほどしかいない病だとか・・・ふつうは生まれてから7、8年で死んでしまうそうである。彼女は高校まで行き卒業を目前にしてなくなった。これほどまで生きた例はないとのことであった。その彼女が同じ病のお友達から言われた言葉。

「どれだけ長く生きたかは、問題ではないよ。どう生きたかが大切だよ。」

臓器をあげたいと思う人は、あげればいいと思う。もらうのもあげるのも、個人の自由意思においてなされるならば・・・。最後の最後まで懸命に患者の命を救うことに最善の努力をする医者ならば・・・。これだけはさいてい守ってほしいと思う。

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2009年5月 8日 (金)

音楽の(ピアノ)の効用

7日朝、中古だが新顔のピアノがやってきた。それは新品に負けないくらい黒く輝いていた。イス、夏、冬カバー、手入れ用品、インシュレーター(ピアノの下に敷く物)21,000円はサービス、搬送料半額(16,000円→8,000円)、ピアノ本体(315,000円→283,500円)、下取り10,000円、合計すると7万円以上安くなっている。うほほほ・・・・。でも単純に喜んでばかりはいられない。我が家にとってかなりの出費である。今よりさらに切り詰めた生活を心がけなくては・・・でも歌は様々な効果がある。例え1食抜いても歌を歌うことの方が精神衛生上大切だと思う。昔の歌を歌うことによって認知症の進行を遅らせることが出来るという報告もされている。

絵手紙ではないが「下手がいい、下手でいい。」という気持ちで、少々音が外れても気にしないで、大きな声を出す。ストレスもある程度解消され、気分転換になる。明日は「ピアノ開き」と称して母の友達、私の友達に声をかけている。PD病の交流会で知り合ったSさんは、最近調子がよくなくて落ち込んでいる。参加してくれるとよいのだけれど・・・。

夜、Oさんから電話あり「Sさんと一緒に行きます」と。わーい!よかった!母の友達のMさんは用事があり来られないとのこと。残念!部屋がかなりちらかっている。それから12時前まで母と片付けをする。(といっても、押入れの中に押し込むだけ・・・あまり押し込み過ぎると開けた途端に崩れ落ちてくる可能性があるので、分散して押し込む)

午後1時過ぎ、OさんとSさん到着。Sさん来てくれてうれしい。2人とも我が家は初めてである。市内から少し外れているので、いつでも気軽に来てと言いたいが・・・難しい。母は張り切っている。いつもと人が違ったよう。お茶とケーキを食べ終わった頃、母の友達から電話あり「これから3人で行きます」と。アリャリャリャ・・・急いでケーキの片づけをする。ほどなく3人が来宅。5人になり急ににぎやかになる。母と私をいれると総勢7名。早速、皆で唱歌、抒情歌を立て続けに5曲歌う。母、つるつるつると歌詞が出てきてみんな「よく、覚えているね」と驚く。1時間半ほど歌い、Mさん達3人は帰る。その後Sさん、Oさんと薬の話などして、5時過ぎに2人帰る。今日1日、母はとても輝いていた。特に歌を歌っている時の母は生き生きとしていた。音楽の持つ効用は大きいことを実感した1日であった。

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2009年5月 7日 (木)

ピアノの寿命?

1年前に9000円で手に入れたピアノが、どうしようもないほど狂ってきた。素人が聞いてもわかるほど音が・・・。ペダルも踏んでも響かなくなった。1年でこんなになるとは思わなかった。1年前に調律してもらった時、中をのぞいてみたが張っている弦も、フェルトでできているハンマーも想像していたより状態がよかったのである。調律師の方も「自分で弾いて楽しむのなら、これでいいですよ。」と言っていたのである。

色々、原因を考えてみる。しかしこれといった理由は思い当たらない。ピアノはかなり古い物でもちゃんと手入れをすれば、かなり寿命の長い楽器である。横から鍵盤を見てみる。ガタガタになっている。アリャリャリャ!!これでは、調律してもらっても、またすぐ狂うだろう。下を開けて見る。張っている弦が錆びかけているではないか!考えてみればここは海辺の近くなのである。常に海側から風が吹いてくる。自転車や、雨戸なども塩がついて白くなっている。風の中に塩分が混じっているのだ。いつもピアノの蓋を開けっぱなしにしていたのだから、当然の結果である。ピアノは音を(ね)をあげてしまった。

このままこのピアノを弾き続けることは出来ない。インターネットで中古ピアノを検索してみる。ヤマハだとどんなに安くても、30万以下では滅多に出ていない。たまに30万以下で出ているが製造年月日をみると1975年以前に作られたものばかり・・・ためいきが出てしまう。以前、知人のお宅に行った時、ほこりをかむった娘さんのピアノがあったのを思いだした。迷ったがダメもとで電話をしてみることに・・・。早速電話をする。ピアノが復元不可能な状態になったこと、近所で歌の好きな(唱歌、抒情歌)方を集めて『歌いましょう会』を始めるつもりであることなどを、手短に話し、30万円で譲ってと言った。どう見積もってもそれだけしか出せなかった。返事は「まだ、娘が時々弾いている」と・・・。それでは仕方ない。「自動演奏機能もついている」と・・・。汗が出てきた。買えば確実に100万円以上はするピアノである。それを30万円で譲ってと・・・・・・もっとよく考えてから言えばよかった。いい歳をしていつまでもオッチョコチョイな性格は直らない。

以前、短気を起して売ったピアノ・・・があれば・・・そうだ、そこに聞いてみよう。早速電話をする。以前お宅にピアノを買い取ってもらったことがある旨を告げ「30万円くらいでお買い得な製品はないですか?」すると、なななななんとゴールデンウィーク期間中『中古ピアノ特別セール』をするというではないか!いつもよりかなり安く売り出すとのこと。早速展示場に行く旨を告げる。するとM楽器の方がさっそくパンフレットを持ってきてくれる。ウホホホホ・・・。こんな機会はそうそう滅多にあるものではない、おまけに足の心配までしてくれる。会場まで会社の車で送迎してくれたのである。

売り出しのピアノが15台ほど並んでいる、「そうぞ、弾いてみて下さい。」の声に片端から弾いてみる。中に1台今まで自分が馴染んでいた音色の出るピアノがあった。「これがいい」と言うと「よい物を選ばれましたね。それは今度の売り出しのなかで1番お買い得のピアノなんですよ。」と言われた。社長さんも出てきて中を開けて「他のと比べてみて下さい。同じ製造年でもあちらのと値段が、かなり違うでしょう。これは手入れもよくほとんど傷みがないということです。本当によいものを選ばれましたね。」と言った。少しは誇張もあるかもしれないけれど、真剣な顔つきからすると・・・よい買い物をしたと思った。かくして1年間私を楽しませてくれたピアノは1万円で引き取ってくれることになった。1年間ありがとう!

明日、我が家に新しい(中古だが…新顔の)ピアノがお目見えする。今度はどんな音色で私を楽しませてくれるか?ワクワクしている。

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2009年4月23日 (木)

移りゆく・・・自然

 「水ぬるみ桜前線北上す」

桜の花が散り、つつじの咲く季節になった。太陽がサンサンとふりそそいでいる。こんな時は家の中にじっとしていられない。日焼けなんて気にしないで外に飛び出していく。最初に草取りをする。雑草は抜いても抜いても生えてくる。(雑草という草はない。どれにも名があるのであろうが、知らないからひとくくりに雑草と呼んでいる。)根くらべである。少し手を抜くと瞬く間にはびこる。散歩をしているとコンクリートからも沢山の草花があちこちに生えている。それらの草花を見るたびに「よく、頑張っているねー。」と思う。山の方からは鶯の声が聞こえてくる。鳴き方もずいぶん上手になっている。最初は「ホーホケッホケッホケッ」と聞こえていた。今は「ホーーホケキョッ、ホーーホケキョッ」鳴いている方向に目をやれば山は淡い黄緑色に変わっている。全山若葉だ。やがて間もなく「鮮やかな緑」に変わっていくだろう。

人間がいくらウロウロ、オロオロしようと自然は、そんな人間界のことなど置き去りにして、時が来れば芽を出し、花をつけ、種を作り、次世代に命をつないでゆく。黙々と繁茂していく。なぜ、人間は争うことを繰り返すのだろう。今、1冊の本を読んでいる。人間とは(自分は)どこまで残酷になれるのだろう?数ページ読んでは本を閉じる。怖い本である。しかし、人間の(自分の)ことを知るためにも読まなければいけない本だと思う。読む義務がある(ような気がする本である)しかし、なかなか前に進めない。それは自分の中にも同じものを抱えていると思うから・・・である。

その本はツナミンさんのブログで紹介されていたものです。興味のある方はどうぞ。(読むべきと書こうと思ったけれど、他人事としか思えない人が読んでも時間の無駄になるだけと・・・。思い上記のように書きました。)

 http://blog.goo.ne.jp/tsunamin_2009

      Desperado  出口がなければ穴を掘れ

    『沈黙を破る』 土井敏邦著

ちなみに、最初に書いた俳句もどきは、季語が二つ重なっているので添削指導されるとしたら「季語重なりはご法度です。」とバツ印をつけられること必至。

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2009年3月31日 (火)

無事帰還す

3月28日~29日の会、終了。29日夕方5時過ぎに無事帰還。会は有意義であった。飛行機が飛んでいる間は自然に筋肉が緊張してしまう。その影響かどうか、非常に疲れる。今日になっても身体がシャッキリしない。

ああしんど、機上の人となりし我 平気な顔の 母気丈なり

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2009年3月26日 (木)

飛行機

明後日、私は飛行機に乗る。それがどうした?って。どうしたもこうしたもないよ。あなた、あの重い物体が空をすごいスピーードでどうして飛ぶのか?わからないまま乗るなんて怖くないの?それに明日にもテポドンが飛んでくるかもしれないと・・・。なぜ笑うの?機械が誤作動してとんでもない方向に飛ぶ可能性もある。飛行機とぶつかるかもしれないよ。

一番安全な乗り物・・・でも鳥にぶつかられただけでエンジンが止まったでしょう。突風にあおられて炎上したり・・・最新の装置は意外ともろいのね。なら会に行くのを止めろと・・・それは出来ない。来年からは飛行機で行かなくても行けるくらいの近くならねえ。孫が使っていた歩行器でいくのだわ。

『がんばらない』をモットーにしていますが、『がんばって』飛行機で行きます。1週間経っても書き込みがなければ、何かあったと・・・。多分無事で帰ってくる・・・予定です。どなたか飛行機が何故飛ぶのか、わかりやすく教えてくだされば幸いです。

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2009年2月19日 (木)

背景を一新

昨日、背景を一新しました。他家に間違って入ってしまったと思わないで下さい。

気分転換を図ろうと思いましたゆえです。あまり度々変えないほうが良いのかもしrませんが・・・。このところ気分が落ち込むようなことが多々ありました。せめてブログの背景を明るいものにしようと思いました。でも少し明るくなり過ぎたかも・・・・・。まっ、いいか!!

それにしても、このごろの国会議員の質の悪さには、怒りを通り越して呆れるばかりです。アメリカの国務長官になったヒラリー・クリントンさん来日の真のねらいは何であったのか?分かりませんが、日本の政治のドタバタぶりにさぞかし呆れていたことでしょう。

安部晋一郎、福田康夫、麻生太郎、中川昭一、みんな2世議員である。何の苦労もなく育ち、親の地盤をそのまま受け継ぎ、議員となった人間ばかりである。このような人たちに我々庶民の気持ちは分からない。当然だろう。それは彼らの責任だけではない。そのような、日本語もろくに読めないような人や、世界経済会議後の記者会見で酔眼朦朧として頓珍漢な答えを(答えにもなっていない)する人を選んでのは、他でもない我々なのである。

私たちが意思を示せるのは、選挙とデモくらいしかない。今度の選挙では”自民党政治”にキッパリと見切りをつけなければ、高齢者、障害者などは今よりももっと厳しい生活を強いられるようになると思う。民主党も今ひとつではあるが・・・とにかくチェンジすることが肝要ではないかと思う。

政府や議員を批判することは誰でも出来るが、自分自身で招いたことという思いを自覚したうえでなされるべきと思う。結局問われているのは私たちなのだ。今度の選挙で現内閣を一新したいものである。

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2009年1月22日 (木)

まさか・・・私が・・・。

先日のこと、16日・金曜日の午後、私の携帯電話にメールが入っていた。タイトル無しで『JP・プロジェクト』児島とあった。その内容は以下のようなものであった。

現在お客様がご使用中の携帯電話端末より、認証ネットワーク事業者センターを介し以前にお客様がご登録されました『有料情報サイト』等における無料期間内でご退会手続きが完了されていない為、ご登録料金及びご利用料金が発生しており現状で料金未払いとなった状態のまま長期間の放置が続いております。当社はサイト運営会社より依頼を受けまして、料金滞納者の個人調査、悪質滞納者の身辺調査などを主に行っております。本通知メール到達より翌営業日(営業時間内)までにご連絡を頂けない場合には、ご利用規約に伴い、①個人調査の開始(悪質な場合は身辺調査の開始)、②各信用情報機関に対して個人信用情報の登録、③法的書類を準備作成の上、即刻法的手続き(強制執行対象者等)の開始、以上の手続きに入らせて頂きますので予めご了承下さい。

*退会手続きの再開、お支払いのご相談等をご希望のお客様は担当児島までお問い合わせて下さい。尚、本通知は最終通告となります。(原文のとおりに記載)

何のことか、分からなかった。携帯電話のコンテンツ利用をすることはあるが全て、携帯の会社を通じてまとめて支払いをしていた。私はそんな覚えはない。(こう思ったのが全ての事の始まりであった。私は絶対に詐欺にはかからないと思っていた。)思わず電話をしてしまった。「そんな覚えはありません。」と。この時点で既に相手の術中に入ったのである。「わかりました。法的手続きをとらせて頂きます。」と、児島と名乗る男は言った。

私は言った。「あなた、架空請求の人でしょう。それか、振り込め詐欺でしょう。」そして電話を切ろうとすると、相手は言った。「最近はそういうのが多いので私たちはとても迷惑を被っています。」と。これが更に私を・・・。1時間近く丁々発止していたが・・・(相手はとても落ち着いて冷静、かつ丁寧な言葉使い。百戦錬磨の詐欺師である。当然だろう。)

とにかく、言えば言うほどダメなのである。相手の思うツボに入っていってしまった。金曜日の午後という時間にメールを送りつけ、今すぐに支払いにいかないと、間に合わないと・・・。現金書留で送るなら窓口にいかなければならない。現金書留でなく、コンビニにある『エクスプレス500』に書類と書いて送るようにと言う。私は何も知らないので、郵便局が民営化されてから、出来た制度だと思った。しかも書類と書くのは途中でお金を抜かれないためと思ってしまった。どこまでアホでドジで間抜けなのだろう。

郵便局に行こうとしているところに近所の知人がやってきた。かいつまんで事情を話した。「それはおかしい。」という言葉を背に、郵便局に急いだ。郵便局でお金を出し『エキスパック500』にお金を入れて窓口に出した。出してから急に疑問が湧いてきた。すぐ近くにある携帯電話ショップに行き、聞いた。「これは詐欺です。」そこで慌てて郵便局に行き、さっき出した『エクスパック500』の中身を言って返してもらった。窓口を出たところで心配した知人が他の友達に電話をして、その友達が私の携帯に「それは、新手の振り込め詐欺です。」と言った。「取り戻しました」と言った後、近くの警察に行き、詐欺師の住所と電話番号、名前を告げた。お金はすんでのところで取り戻したので、被害届けではないが・・・。

まさか、私が引っかかるとは思いもしなかった。覚えのないメール、電話は一切無視すること。これが詐欺にかからない大原則の一つである。と強く自分に言い聞かせた。相手からのメール、電話、などすべて着信拒否にしたことは言うまでもない。くわばら、くわばら!!ちなみに請求された金額は我が家の、約1か月分の生活費と等しい額であった。

騙しをプロ家業にしている人の、巧みな話術に思わず感心してしまった。これほどのテクニックを、もう少し他の良いことに使えばなあ・・・。人質をとって立てこもっている犯人の説得とか・・・。んなことを言っている場合ではないのである。^^;)新手の詐欺が次々と出てくる、気をつけなければ。怖い世の中になった。

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2009年1月10日 (土)

今年の目標

ー何事にも動じることのない自己ー

今年もよろしくお願いいたします。

今年の正月は老婆と老女、二人の静かなしずかなお正月を迎えることができた。ありがたいことだと思う。御節料理もなく(母が好きだという、数の子だけ少し買っただけである。)正月がきたといっても何のことはない。ただ、地球が月の周りを一周しただけのことである。と言ったのでは実も蓋もない。区切りとして心新たに目標を立ててみた。目標を今までも立てては挫折してきたのである。何故、継続出来ないのか?それは、私自身の心の弱さ以外の何ものでもない。昔から『3日坊主』と言われているが、よく言ったものだと思う。昔の人は人間の本性をよく知っていた。

例えば、『喉元過ぎれば暑さを忘れる』とか、『我田引水』、『付和雷同』、『針小棒大』、『自画自賛』等など・・・。三日坊主にならない為には、何故それをするのか?という事をしっかりと心に留めておくことと、無理をしないで出来る範囲の目標を立てることだろう。3日続けば1ヵ月、1ヵ月続けば、3ヶ月、6ヶ月、というようにしていけば、何とか続くのではないかと・・・思うのであるが・・・?

まず、自分に出来そうなことを目標にすることにした。

目標その1、 何事も腹7分目に収めること。(食事、言いたい事、その他いろい       ろ特に食べることに関しては・・・お腹周りに脂肪がつき、ズボンが合わなくなって困っている。)

目標その2、 善い言動をする。(特に母に対して皮肉を言ったりしないようにする。困っている人がいたら、見て見ぬふりをしない、悪いことは悪いという勇気を持つ等など・・・。)

目標その3、 一喜一憂しない。(あれこれとあっても動じることのない自己を保つ。平常心)

無理をしないで自分の出来そうな目標を立てることにしたが、上記3つの目標は私にとってかなりハードルが高い目標かも・・・しれない。腹7分目に留めること一つだけでも、かなり難しいような気がするが・・・。特に食に関しては・・・でもやらなければ・・・メタボリック症候群になりたくない。病はパーキンソン病だけで十分である。

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2008年11月29日 (土)

断念せよ

すこし前になるが、ある1組の夫婦がアメリカ人女性のお腹を借りてこどもを作った。いわゆる代理母である。アメリカで生まれたので国籍はアメリカになる。そのことに抗議し、訴えると・・・その後どうなったかはわからないが、いくら自分達の子供でもアメリカの女性がアメリカで産んだ子供の国籍はアメリカになる。そんな事は自明である。知らなかった、のだろうか。

子宮癌になり子供が出来なくなった。それで体外受精など試みたものの思わしい結果が得られなかった。しかし「自分達の子供がどうしても欲しい」という気持ちを捨てきれず、アメリカ人女性の子宮を借りて目的を達成した。と・・・。それを見た時の感想は「なぜそこまでやるの?養子をとればいいのに」と思った。自分達の遺伝子を持った子供が欲しいという気持ちも分からぬではないが・・・。ひょっとして養子の方が優秀という可能性もある。費用もかなりかかるだろう。「自分達の子供がどうしても欲しい」という思いの行き着く先は?クローン人間?

臓器移植にも同じことが考えられる。もし、自分の子供が「臓器移植でしか助かる道はない。」と言われれば、ほとんどの親はそうなればと1度は願うだろう。しかし、臓器移植が出 来るということは、一人の人間の『死』があるのだ。私は「臓器移植」には反対している。『脳死』は人の死ではなく、心臓死をもって人の死と考えている。臓器を取り替えるという行為は、どうしても医療とは思えない。傷んだパーツを(臓器を)取り替える・・・自動車の修理と同じようなことではないか。(費用もかなりかかるだろう。)

現在、日本で行われている『脳死判定基準』も十分とは思えない。アメリカでは外国人に臓器を提供するな。という声も出ている。日本人の提供者もまだ少ない。費用の面で外国には行きにくい。移植医療に携わる人は出来るだけ新鮮な臓器が欲しい。それやこれやで『脳死』に関する法律を変えようという動きが出てきた。現在は家族の同意があっても本人の意思が確認できないと、臓器摘出は出来ないことになっている。(15歳以下の人からも取れない)それを、本人の意思が確認出来なくても家族の同意だけで臓器提供が出来るようにしようというのである。とんでもない!そのようなことを許してしまえばだんだんエスカレートしていくのは目に見えている。何しろ移植医は「出来るだけ新鮮な臓器」が欲しいのである。それもなかなか出来ないとなると・・・クローン技術を使って臓器を作ろうと誰しも考えるだろう。

子供のない夫婦は沢山いる、生きたくても生きることが出来ない病がある。ということに思いを馳せれば・・・「どうしても自分の子供が欲しい」、「わが子の命を救うために臓器が欲しい」という欲望は少し軽減するのではないだろうか。欲望を満たすためにどこまでも行く、欲望の行き着く先は?私は思う「人間、時には断念することも必要ではないか。」と。

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2008年11月27日 (木)

脳死・移植

脳死、移植について

ツナミンさんのブログに『脳死』『移植』について、詳しく述べられている。この問題は他人事ではない。真剣に考えなければならない。現在の『脳死判定基準』は大きな問題があると思う。それなのに更に「本人の同意がなくても家族の同意があれば脳死と判定できる」ようになりそうな・・・。現在は15歳以下は除外されているが、もし家族の同意だけで脳死と判定されるようになれば・・・年齢制限はなくなってしまうだろう。『脳』はかなりダメージを受けても『低体温療法』などにより、今まで回復困難と思われていた人が助かるようになってきている。ましてや子供の脳はもっと再生力があると思う。他人事ではない真剣に考えられなければならない問題である。

ツナミンさんのブログURL

『イスマタリアン』 http://www.doblog.com/weblog/myblog/76849

教育問題も書かれています。必見。

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2008年11月 6日 (木)

頑張るなかれ

ー叔母のことー

10月末、母と二泊三日の旅に出た。目的は息子夫婦と孫と、馬に会うためである。もうひとつは叔母を見舞うためであった。叔母は母より5歳年下の75歳、アルツハイマー病と診断され、現在は施設に入っている。

10年くらい前頃から時々「物忘れ」をするようになった。その後も段々症状は進み家族だけで見るのは、限界となり8月頃に入所した。と長男のお嫁さんが話してくれた。施設に着き案内されたロビーに座っていた。一瞬私はどの人が叔母なのか分からなかった。それほど叔母は変わっていた。椅子に座っている叔母を見た時「叔母さんは頑張り過ぎたのだ」と思った。定量以上の電力が流れると電気は切れてしまう。電池がなくなり切れたような・・・。

叔母は結婚した途端から、一人で何役もこなさなければならなかった。(結婚した相手は開業医であった。)診療所の手伝い、家事、育児、姑さんの介護などなど・・・。叔母はそれらすべてを一人でこなしていた。時間に追われながら一生懸命に愚直なまでに頑張り続け、走り続けてきた。やがて子供も大きくなり(姑さんは結婚6年目に亡くなっていた。)少し自分の時間が持てるようになった。

しかし、今度は舅がおかしくなりだした。壮絶な介護の始まりであった。叔母は舅が引き起こす出来事に一つ一つ正面から立ち向かっていた。それがどれほど大変なことか、叔母の歌集『三机の海』の中で舅のことが詠まれている。

『三机の海』より

・そんなにもお金が好きなら山羊のように1万円札ムシャムシャ食べておしまひ

・徘徊の舅の名札見し少年が「相手してます」と電話をくれぬ

・徘徊を遂に始めし舅哀し体力まさに40、50

・惚けゆく舅を哀れに思へども巻き込まれゆくわれも哀しき

・百歳の記念の品を頂きてやをら逝きたり99歳の舅

15年余りにわたる介護の日々は終わった。この後くらいから叔母の様子が少しずつ変化していった。もっとチャランポランとしていたらよかったのかも知れない。しかし、自身持っている性格がそれを良しとしなかったのだろう。

介護は(痴呆症は特に)ゴールの見えないマラソンのようなものだと思う。いつ果てるともわからない。だから頑張ってはいけない。最低限のことだけしていれば後は何をしようと放っておく。介護する人が先にダウンしてしまう例もある。他人から何と言われようと「頑張らないで」欲しい。叔母を見ながら思った。

帰る前に叔母に言った。「もう、頑張らなくてもいいよ。」叔母はつぶやくように言った。「堕ちてしまった。失うものはもうない。」「じゃ、もうコワいものはないよね」叔母は頷いた。

『三机の海』より

・「頑張れ」の言葉はびこるこの国の残酷さには誰も気付かぬ

・「無理せんとあんたもぼちぼちおやりやす」言はれてうれし「ほんまやそうする」

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2008年10月15日 (水)

お知らせ

10月末、母と小旅

京都、滋賀のほうに旅行。行こうと思いながらなかなか機会がなく延び延びになっていた母との旅。今行かなければ・・・今が行けるタイムリミットぎりぎりではないかと、一大決心。体調も自信がなく、お金もありませんが何とかなるだろうと・・・。痴呆状態になっている叔母と、孫と、馬に会いにいきます。老婆と老女とで行きます。ブログは当分休みます。

訪問したのになんだ。留守か、掲示板復活させましたのでメッセージをどうぞ。「ああ言えばこう言う」 ミニゲームも用意しております。(オセロ)なかなか手ごわいです。・・・考えてみたら私が弱すぎるのでした。

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2008年9月14日 (日)

臓器移植は医療ではない

ツナミンさんのブログ『イスマタリアン』に臓器移植の記事が出ていた。それによると現在の『脳死基準』を見直しをする。と。私は臓器移植は”医療行為”とは思えないので、移植医療に反対している。傷んだパーツを取り替える工場と同じである。臓器が提供されるということは、一人の人間の死がある。私はドナーになりたくない。様々な考え方があるだろうが、私は他人の臓器を貰ってまで生きようとは思わない。臓器移植しか助かる道がないと言われたら『断念』するだろう。

現在の『脳死判定』基準にも、納得できない。『脳死』をもって人の死とするのは早計すぎると思う。(かなり前の新聞記事だが)イギリスで脳死と判定された女性から臓器を取り出そうとメスを入れた途端に、血圧計の針が上昇し看護師が驚いた。という。この記事を読んで恐いと思った。本当に死んでいるか?どうか?現在の『脳死基準』で「死」と判定するには、不十分である。以前、立花隆氏の書いた『脳死』『脳死再論』を読んでその感をさらに強く持った。

『脳死』になったと判定する基準は(今、手元に資料がないんで書けないが)5~6項目あったようにおもう。立花隆著『脳死再論』はこれだけでは『脳死』とするには無理がある。本当に脳死かどうかを知るには、脳血流を調べることが必要である。と。しかし、現在の脳死判定基準には、脳血流を調べるという項目は入っていない。外見からは死んでいるように見えても、脳血流があればまだ生きている。意識も持っている、ただそれを顕わすことが出来ないだけなのだ。と。

考えれば考えるほど怖さが増してくる。生きて意識もある人間がメスを入れられて臓器をとられる。「いく ら止めて!助けて!私はまだ生きている!」と意識で思ってもそれを伝えることが出来ない。今までに脳死と判定されて臓器を取られた人が日本で何十にんいるか?分からないが、その中にはイギリスのようなケースもあったのではないか?

現在、脳死と判定されるようなケースであっても、低体温療法でかなりの人が助かるようになっている。(正確なデータは分からないが)そのことも考えると『脳死』を人の死とするのは、早計ではないか?移植医はなるべく新鮮な臓器が欲しいため、早めに脳死と判定するかも・・・。臓器移植はどう考えても医療行為と思えない。

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2008年8月 9日 (土)

明と暗・北京オリンピック開会式

暑い!!外を歩いていると融けてしまいそうになる。せめて画面だけでも涼しくしようと思いたち変えてみました。少しは涼しさが感じられるか?な。しかし、外見はどうでもいい、肝腎なのはその内容であることはいうまでもない。このところの暑さで書こうと思うことは、色々あるが、集中力が低下しなかなかまとまらない。(暑さのせいなどするな!以前から散文、整合性のない文を書いていた。言いいわないで・・・暑さのせいではありません。資質の問題です。これからはもう少し凛としたものを・・・書くように心がけます。気分一新して・・・。)

昨夜、見るつもりがなかった『北京オリンピック』開会式を見た。母が食事をしながらいつもテレビを見るので、見るともなしに見てしまうのだ。同じ屋根の下にいるのに食事を別々に食べるのもおかしなものだ、かくして私は見たくもないテレビを見ることになるのである。テレビは騒音を発する箱と成り果ててしまった。今はラジオを愛用している。

「開会式」は鳴り物いりで華々しく社会主義国、中国の(威信をかけた)特徴が如実にあらわれていた。これでもかこれでもかと次々繰り広げられるショーにうんざり。「もういい加減にせいよ」と叫んでしまった。テレビに叫んでも仕方ないのだが・・・。日本のメディアは「凄いですね。」とバカのひとつ覚えのように言うのみ。もう少し別の表現もあるだろう。ったく・・・アホ。

開会式を見ながら、この派手な式の裏に拘束されたり、軟禁されたり、家を追われたりした多くの人達がいるのだと思うと、素直に「凄い、綺麗!」などと到底思えなかった。個人の人権を踏みにじることなど何とも思っていない国である。物事には明暗両方ある。暗部を伝えなければ明部はかすんだものにしかならないだろう。表面に出ていることのみ伝えるのなら、誰でも出来る。今朝の新聞の(朝日)オリンピックの記事の、脳天気なこと。

「ともあれ、楽しもう。」「幕は開いた、最高級の心技体が、万全の安全の下で躍動せんことを願ってやまない。」・・・言葉すら出ない。日本の選手は多くの場面で不利な判定をされるだろう。それを跳ね除けてでも優勝するというのは、相当大変である。メダルが何個取れるか?などと安易に言うなかれ。選手は死ぬような思いをしているのである。それでもけなげに少ない予算で頑張っている。命がけなのである。

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2008年5月 8日 (木)

マザーテレサの言葉より

リンク: @nifty.

 苦しみ
苦しみそのものに価値はありません。
キリストと、
その受難を分かち合えるものとなった時、
私達の苦しみは、
この世で最も尊い賜物になるのです。

 淋しさ
先進国にも、一つの貧しさがあります。
それは、お互い同士、
心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、
愛の欠如からくる貧しさと言っていいでしょう。
愛の欠如こそ、
今日の世界における最悪の病です。

 愛
持ち物が少なければ少ないほど、
多く与えることができます。
矛盾としか思えないでしょう。
でもこれが愛の論理なのですよ。

 徳について
もしも私達が謙遜ならば、
ほめられようと、けなされようと、
私達は気にしません。
もし誰かが非難しても、
がっかりすることはありません。
反対に、誰かがほめてくれたとしても、
それで自分が偉くなったように思うことも
ありません。

 生と死
死の瞬間、私達が裁かれるのは
自分の善業の数によってでもなければ、
一生の間に
手に入れた資格によってでもありません。
私達は、
どれだけの愛をこめて仕事をしたかによって
裁かれるのです。

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2008年4月 3日 (木)

浦島物語・6

続き

東京の中心部に近いホテルに無事チェックイン。立派なホテルである。入り口には桜の木が2本植えてあり、かなり開花していた。私の住んでいる所はここより南だが未だチラホラしか咲いていない。部屋は14階(25階建て)案内されて部屋に入る。荷物を置いて非常階段(出口)を確かめに行く。でもこんな大きなホテルで火事でも出たらパニックに陥ってしまって・・・助からないだろう。昨夜、温泉に入らなかったので、早速シャワーを浴びバスにつかる。昔ながらの浴衣が置いてあった。近代的なホテルなのに未だに、このような浴衣を使っている。そのアンバランスさが可笑しく笑ってしまった。

今日も、ほとんど「すくみ」「振るえ」は出なかった。これはやはり精神的なことが関係しているのだろうか?(H・N先生効果か?)嬉しくなる。その後、近くのお好み焼き屋さんに入る。母、豚玉焼き、私はなんじゃ・もんじゃ焼き(ねぎ入り)を注文する。横の壁に「なんじゃ・もんじゃの焼き方が写真入りで出ている。実は始めてなのである。注文したものが運ばれてくる。焼き方を読んでいると若い女性従業員さんが「焼きましょうか?」と声をかけてくれる。私がモタモタしているのを見かねたのだろう。焼いてもらう、そして食べ方まで教えてくれる。「有難う!」と言うとニッコリ笑った。とても感じの良い女の子であった。

目覚める。朝5時であった。昨夜12時過ぎに寝たから5時間は寝たことになる。こんなに眠れたのは本当に久しぶりである。いつもは3時間もすると痛みで目が覚めてしまう。(平均睡眠時間・3時間)適度な疲れと緊張とH・N先生効果が合わさったのだろうか?眠れれば翌日の調子も良くなる。(睡眠効果・若年性PD病の特徴)今日は母が女学校時代の友達二人と会う日である。チェックアウト11時に合わせてロビーで待ち合わせすることになっていた。少し早めにチェックアウトをすませる。待つこと10分、お友達がやってきた。二人、母をいれて三人並んでいるのをみる、とても80歳とは思えない。昔は80歳ともなるともっとヨボヨボしていたような気がする。65歳くらいにしか見えないと言うと三人が声を揃えて「80年も生きてきたのだけれど、気持ちは10代の頃と変わっていない」と・・・。

昼食を食べながらあれやこれや、話題に花が咲く。私も時々話しに加わる・・・気がつくと母はあまりしゃべらず私ばかりがペチャクチャと喋っていた。主役を押しのけて脇役がししゃり出ていてはいけないと・・・。本来、私は無口なのだ。外は雨が降っている、ホテルの中の喫茶店に場所を代える。相変わらず薬はよく効いている。最初は何度も「身体大丈夫?」と聞いてくれていたお友達も「最後のほうには「元気になってよかったね」と・・・。

この調子なら大丈夫と自分にいい聞かせる。薬はいつもと同じに飲んでいるのである。三時まで話した後、羽田まで直通でいける電車に乗る。一人の友達はホテルを出て分かれたが、もう一人の友達MさんがS駅まで送ってくださる。お礼を言ってホームに出るとまだ心配そうにこちらを見ていた。そして「羽田直行か?どうか?確かめてから乗ってね。違うところにいく電車も来るから」と大きな声で言ってくれた。そう私と母は違うところに行く位置に立っていたのであった。前の女の方が「羽田行きは隣の位置でのります。ここは○○行きが止まるところです。次にくるのが羽田行きです。」と教えてくれた。危ない!危ない!羽田に着き○○行きの乗り場に行く。ずっと調子が良いので、もしもの時のサポート申し込むのを止めようかと思った。がやはり申し込んでおく。いざというとき車椅子が入れないので前の席に移動する。母は隣の席を希望するが空いておらず離れて座る。19時前無事着陸。

あれから、10日・・・調子良い日は三日ほど続き・・・今は・・・可もなし不可もなし・・・の日々。でも思いきって行ってよかった。気持ちが嬉しいと脳内物質も(ドーパミン)よく出ると実感できたのだから・・・。冗長な話をお読みくださってありがとうございます。

どこが、浦島物語なの?あれれれれ?「モタ子さんの珍珍旅日記」に変えようか???」マッ、いいか?despaircoldsweats01coldsweats01

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2008年4月 1日 (火)

浦島物語・5

続き

H・N先生は言われた。「でも西日本の方で真の専門医は少ないのです。もう、皆J病院へいらっしゃい」と。J病院は日本でも、PD病の専門病棟がある。看護師さんもよく病のことを知っている。安心して入院が出来る病院なのだ。私は3回入院したがとても好感が持てた。夜勤に入る看護師さんは各室を回って、一人づつ入院患者に挨拶して回るのである。「今晩、夜勤をさせて頂く○○です。よろしくお願いします。困ったこと、その他何かああれば遠慮なく言って下さい。と回りながら患者の様子を見ているのだろう。(視診)私が以前勤めていた老人ホームでは、放送で夜勤者の名前を言っていた。(その名前を聞いて入居者は言う。「ああ、今夜はハズレ。ナースコールは鳴らさないようにせんといかん」と。入居者が気を使っているのだ、逆である。本来は一人一人の様子を見ながら、挨拶をしていくべきだと思った。(上に立つ人の考え方、姿勢がその職場に大きな影響を与える。)

朝、8時過ぎに自宅を出てから15時間。夕食後一時間ほど薬が効いてこなかった。原因は夕食でたんぱく質を沢山食べたためである。これは想定していたことだった。さしみ、牛シャブ、その他色々+アルコール=薬効かない。そんな時は少し多めに薬を飲むとよいと主催者のO・Yさんが言っていたけれど・・・こんな状態を見て貰うのもいいかな・・・などと思いながら時間の過ぎるのを待っていた。今日はそれ以外に「すくみ」「振るえ」は一度も出ていない。

11時前になった。母は少し疲れた様子。もう少し話しをお伺いしたかったがまだ明日がある。部屋に帰った。露天風呂に入るのも遅い時間なので部屋で入ろうと・・・したらそこにはシャワーしかなかった。ありゃりゃ!そうか、ここは有名な温泉地だから温泉に入らなければ・・・部屋にシャワーしかないのは当然か。飛行機に乗ったり駅でウロウロしたので疲れた。明日の朝、入ろうとベッドに入った。

心地良い疲れのためいつもよりよく、眠れた。寝返りも何とか自力で出来た。少しよい感じ・・・今日は東京行き。そしてもう一泊し、母が友達に会うのに付き合う。解散する前に幹事さんのいる部屋に集まり記念写真を撮る。そこでHドクターは先に帰っていかれた。その後参加者の方達と少しお話をし、昼前に東京行きの列車に乗った。今日も調子よさそう・・・無事東京駅に到着する。相変わらず人が多くいる。トイレはどこも行列。(女性用だけ)男性用が空いているので、行こうと思ったが母に制止される。女の変態痴漢と思われては困る。

J病院に入院している知人を見舞うため、又電車に乗る。今度は切符もスムースに買うことが出来た。駅に到着しホームを出る。風景がガラリと変わっていた。最期に来たのが4年前だった。4年でこんなに変わるのかと驚く。浦島太郎もかくありなん・・・もうそろそろJ病院が見えてくる頃・・・だが見えない?制服を着た警備員の方に聞いた。なななっ何と反対側に出ていたのであった。ぐるりと回ると懐かしいJ病院の建物が見えた。ヤレやれ。

日曜日なので病院は閑散としていた。下の花屋さんで花を買う。値段の高いのに驚く。一番安いのは・・・菜の花。一本200円、私の住んでいるところなら100円もするかどうか?自宅の周りには野良生えの菜の花が沢山咲いている。菜の花だけでは・・・赤い花を・・・バラ一本400円。合わせて1,000円、(バラ2本&菜の花1本)少し寂しいが・・・。

U氏は2回目の入院で知り合った。「僕もHドクターに診て貰いたいので、言ってくれませんか?」「・・・・・」「自分で言います。」「そそうしてください。」同じ病院の中でドクターを変えるのは・・・ちと具合悪く思うのだけれど。少しした頃、HドクターにU氏は廊下で「先生に診て頂きたいのですが・・・」Hドクターは「いいですよ。」そんなに簡単に引き受けてもらえるとは・・・言ったU氏が拍子抜けする位あっさりとO・Kと言われた。同じ助教授(今は準教授と呼んでいる)とはいえ、H先生の立場が具合悪くならないのか?と心配であった。かようにHドクターはご自分の立場を考えるより先に、患者のことを(思いを)一番に考えて下さる、Hドクターのどこまでも優しく思いやり溢れるお人柄、こせこせしない大きなスケールを持っておられることに感銘を受けるのである。(現在は教授)

U氏は思っていたより元気そうであったが、DBSの手術を受けてから(本人の話)言葉がはっきりしなくなったと・・・。DBSの手術は私も勧められたことがある。しかし、成功した人の割合がまだ、5割にもいっていない(自分の思いでは)ような気がする。今は何とか薬でコントロール出来ている。あえてリスクを背負うことはしたくない。会の参加者の中にDBSの手術をして、ほとんど普通に近い状態になるまでに回復している方がおられた。今は薬も少量でよく効くとのことであった。「よく、思い切って受けましたね。」と言うと「その当時はもう、何も出来なくて毎日が苦しくて・・・だから決心がついたのです。」と言われた。

私も常にそのような状態に陥ればDBSを考えるかもしれない。しかし、遺伝子治療や、IPS細胞の発見など遺伝子レベルでの治療推し進められている。そちらの方に期待したいと思う。身体が自由に動かないのも辛いが、話が通じないのはもっと辛いのではないかと思う。1階のカフェでお茶を飲みながら、言葉が通じにくくなったU氏の歯がゆそうな様子を見ていると・・・U氏の言葉は半分も理解出来なかった。

U氏と別れて、今夜宿泊予定の池袋駅に・・・切符を買って駅員さんに聞くと「池袋駅なら橋の向こうの丸の内線で行けば直通で行けますよ。」と呆れたような顔をして言った。「もう、こちらの線の切符買ってしまったのですが・・・」めんどくさそうにお金を返してくれた。

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2008年3月30日 (日)

浦島物語・4

H・N先生と再会

17時過ぎ部屋を出てコテージAに行こうとエレベーターの前にいくと、な、な、懐かしいH先生が立っておられた。「先生!!お久しぶりです。」「やあY・Oさん、元気そうですね。お母さんもお変わりなく」なんだかドキドキして何か言おうとするが、あれもこれもと思うだけで、何も言えなかった。久しぶりにお会いした先生はかなりスマートになっておられた。世界中を飛び回ってお忙しい日々を過ごしておられるのであろう。そのことを言うと「10kgやせました。そのおかげでジーパンが履けるようになりました。」といつもと変わらない笑顔で言われた。

夕食会は18時からである。まだ少し時間がある。この会の主催者のO・Yさんが来ていた。会うのは初めてだけれど、以前薬が効かず難儀をしていたとき何度か電話をして相談にのって下さった。その時に『少量頻回服用法』を教えて頂いたことがある。ご自身で色々と薬の服用法を考え工夫し、1日中薬が切れないようにする。つまり、起きている時間は常に動けるようにする方法である。1日中動こうとすればたくさんの薬が必要になる。と思っていた。薬を飲み過ぎると不随運動が起こるなどの副作用が出てくる。だからほとんどのドクターは(私が知っているドクターと知人から聞いたドクターだけだが)薬をなるべく少なくしようとする。若く発病した人は長いスパンで考えなければならない。だから薬を70~80%動けるように処方する。

しかし、Oさんは「100%動けなければ意味がない。動きにくいまま辛い思いをしながら生きていくのは・・・良しとしない。「今動きたいのだ」とも。全く同感である。そうするために「少量頻回服用法」を取り入れる。色々な病があるが、”動けない”という状態は相当辛いことである。PD病は血管が詰まって麻痺しているのとは違っている。なまじっか動けるだけに”無動状態”は辛いのである。

(少量頻回服用法)薬の効きが悪くなって来た時、朝、昼、夕食後に1錠づつ飲んでいるとして、それをもう少し分割して服用回数を増やす。例えば1日3錠と処方されている場合、朝は薬の血中濃度をあげるため、1錠、2錠を半分に分割して2時間毎に服用する。薬の血中濃度が下がる前に服用する。そうすることによって血中濃度を一定に保つことが出来る。少量の服用ですむ。一旦、濃度が下がってしまったら上げるために服用量を多くしなければならない。

少量頻回服用法は理にかなっている。私は今でもOさんから頂いたアドバイスに従って服用している。しかし1錠100mしかないので、割るのに苦労している。1回、75ミリgにするために、カッターナイフで分割している。会に参加することになった時何を置いても薬とカッターナイフは忘れては一大事と一番にバッグに入れたのだ。(それで金属探知機にかかって・・・)他の薬、例えば母の飲んでいる血圧の薬は同じ薬で、5、10、20、40mgと4種類もある。せめて50、100mgと2種類作っても採算は取れるのではないか・・・。

18時から夕食会が始まった。主催者のOさんの挨拶の後、H・N先生の挨拶、それに続いてM・M先生の挨拶があった。M・M先生が言われた。「○○年から製薬会社が25、50、100mgの薬を作ってくれることになりました。我々医者が言うだけではなかなか、実現しない。患者さんも思っていること、困っていることあれば、どんどん声をあげていってください。」然り、然り。わーい!よかった。これから出かける時にカッターナイフを持たなくてもよくなる。何事も黙っていただけではいけないのだ。どんどん声をあげましょう。

夕食会の終わる時間が近づいてきた。ハーモニカを持って来ていた。自己紹介の時にこんなことやってます。とハーモニカを出して見せながらプウーッと吹いた。一人1分くらいでと言われていたので、曲を吹くのを断念する。しかしせっかく持ってきたのだ。歌詞もコピーして持っていた。終わる10分前に思い切って主催者のOさんに、吹いていいか?聞く。Oさんは、あっさりと「いいですよ」と言って下さった。コピーしてきた歌詞を配り、月に一度の交流会に歌っているテーマソング(若者達の替え歌)を吹いた。参加者、皆さん歌ってくれる。「どうもありがとうございました。」と言うと、一人で参加していたI・Jさんが「千の風になって」は歌わないのですか?と言った。それも「若者達」の横に書いていたのだ。「いいですか?」と聞くとOさん「どうぞ」、恥ずかしながら思い切り吹いた。ドキドキしたので2箇所ほど間違った。まっいいか。皆さん下手なハーモニカに付き合ってくださり有難う!!

ハーモニカが終わった、するとH・N先生が「では、私も歌います。」と言って立ち上がった。先生が歌いだした。とてもろうろうとしたよい声である。オペラ歌手顔負けの堂々とした、自作曲を披露してくださった。(即興詩)

「PD病なんてこわくない。みんな気合で吹き飛ばせ!M・M先生もそういってるー。・・・・・」始めて聞くH・N先生の自作の即興曲、なかなか聴き応えがありました。

夕食後は、それぞれ行きたいコテージに行くことになっていた。Aはカラオケ、BはM・M先生、CはH・N先生。Cコテージに行く。昨夜は徹夜していたとのことで少し疲れて眠たそうであった。各自先生にお聞きしたいことがあった。先にKさんが先生に矢継ぎ早に質問する。話が切れたら私も質問しようと、KさんとH・N先生のやりとりを聞いていた。なかなか話の切れ目がない。とても疲れている様子なのでお気の毒と思いながら待っていた。

T県からきていたBさんが「処方箋」を出して先生に見せた。すかさず先生が「こんなムチャクチャな処方は・・・ひどいなあー。」と言われた。その処方箋を見た途端、眠たそうな目をしていたH・N先生の顔つきが変わり、目が鋭くなった。「こんなに沢山の種類を出していると、どれが効いているのか、どれが効果がないのか?わからない。P錠まで・・・この薬は今はほとんど使われていない。全くひどいなー。帰ったらこの薬を出したドクターにセカンドオピニオンを受けたいので、紹介状を書いて下さい。と言って一度うちの病院に来てください。」と言われた。

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2008年3月29日 (土)

浦島物語・3

続き

ホテルの玄関を入ると、幹事さん二人と思われる女性がフロントの前に立っていた。まだ一度も会ったことがないが、雰囲気からそうだと察する。挨拶をする。「もう来てる人がいます」とコテージAに案内してくれる。持ってきたわが町の名産菓子を渡す。一緒に行くことになっていたO・Hさんが参加出来なくなってしまい少し寂しいけれど、O・Hさんが送ったと言っていた(果物・絵手紙)荷物も届いていた。さすがOさん、気がきいている。私や母はボンヤリしているので、そういう心配りの出来るO・Hさんに脱帽。

A棟に入ると男の人がカラオケで何かうたっていた。○○○の統括管理人のSさんであった。几帳面な方、真面目というイメージを抱いていたが、ユーモアのある楽しいお人柄であった。パソコンやインターネットで見ているのは、ある種バーチャルな世界である。やはり、その人となりを知るには、相手の息使いがかんじられる距離で会って話しをしてみなければ分からないと実感。

以前、J病院に入院した時お見舞いに来て下さったA・Mさんがいた。「こんにちわ、よく来たね」と声をかけてくれた。「お懐かしいA・Mさん。やっと参加しました。」「そう、よかった。」と満面の笑顔で握手。○○歳にはどう見ても見えない、とてもチャーミングなA・Mさん。あなたのブログいつも読ませていただいています。ファンです。

この集まりは5年前から誘ってくれていた。しかし直前になると不安でキャンセルしていた。今回、参加しようと思ったのは「40時間の無動」を体験したことで少しくらいのことにオロオロしなくなった。こと。そしてJ病院のH・N先生が参加されると聞いたこと。H・N先生は私の大好きな尊敬できる先生なのだ。「困った時にはいつでもいらっしゃい。」と気さくに言って下さる。H先生に何度も助けて頂いた。大恩人。いつも謙虚で優しく、思いやりがあり、そのうえ臨床医としても有能、研究の方面でも世界的に有名な先生なのだ。こんなに何もかも揃っているドクターは少ないだろう。聞くと先生は17時過ぎに来られるとのこと。待ち遠しいなあー。

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浦島物語・2

続き

新幹線乗り場に到着。それにしても人が多い、出かける前に聞いたニュースを思い出す。とある駅でいきなりナイフを持った少年が通行人を襲い8人負傷(一人は死亡)。こんな人混みの中でいきなり襲われたらひとたまりもない。この多くの人の中にもしかして変な人がいるかも・・・少し怖い。私の住んでいる町は繁華街でも人間はバラバラしかいない。少し変な感じの人はとても目立つ。そんなことを考えてついつい辺りをキョロキョロと見回していると、母「あまり、キョロキョロしていると田舎者と思われる」・・・。各駅停車の新幹線「こだま」に乗る。今はほとんどの車両が禁煙席になっていた。以前は全車両の一両か2両であった。いつだったか?うっかり禁煙席でない車両に乗ったら車両全体が煙草の煙で霞んでいて、息苦しい思いをしたことがあった。変わったなあー、愛煙家の受難時代。少し気の毒な気もする・・・。

時計を見る。もうそろそろ目的地に着く頃だ。朝いつもより早く食べたのでお腹がクッーと鳴った。目的地に到着、駅の中にある飲食店に入る。メニューを見て値段の高いのに驚く。素うどん1杯600円近くする。わかめうどん630円、私の住んでいる町なら肉うどんを注文してもまだおつりが150円はかえってくる、わかめうどん2人前注文する。店の人に○○○ホテルを聞く。「ここから歩いて2、3分ですよ。」ならばタクシーにのることもないだろう。歩き出す5分ほど歩いたがそれらしき建物は見えない。見落としたのか?そんなはずはない、お店の人は確かに徒歩で2、3分と言った。もう一度警備員のような服を着た人に聞く。「こちらでなく、あちらです。あそこに見えていいるでしょう。」私達は反対方向に歩いていたのだった。指さされた方を見るとかなり高い所に白い大きな建物が見えた。引き返す、まだ10分以上はかかりそうである。ホテルの玄関に着いたのはうどん屋を出て25分後であった。やっと辿り着いた・・・遠いなあー。朝家を出てから5時間半経っていた。

心配していた、「すくみ」も「振るえ」も今のところ出ない、薬はいつもより早めに飲んでいた。何だか調子良さそう・・・しかしいつどうなるか?まだ不安は解消してはいない。「気にしないことさ、昨年の40時間動けなかったことに比べれば、少しくらい動けなくてもどうってことないよ」と自分に言い聞かせる。

続く

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2008年3月28日 (金)

現代版・浦島物語1

先日、母とある集まりに参加した。初日は東京から新幹線で40分程かかる場所であった。翌日は母の女学校時代の友達に会うため東京へ・・・。母は横浜で生まれ20歳までそこで育った。往復とも飛行機である。出来たら列車で行きたいが7時間半もかかるのである。いつ薬が切れて動けなくなるかという不安定な我が身である。飛行機で行けば3時間と少し・・・元気なら7時間くらい何でもないが・・・。

乗る前に荷物やカバンを金属探知機にかける・・・私のバッグが引っかかった。もう一度やり直した・・・やはりブザーが鳴る。中を開けられた「これですね」しまった!と思ったが後の祭り。薬を分割するためにカッターナイフを入れていたのであった。

^^;)

乗り降りする時、動けなくなることを想定しサポートをして貰うように告げていた。しかし、無事羽田に着きスムースに降りることが出来た。第一関門通過一安心。浜松町までのモノレールも異常なし、そこから東京まで券売機の前で切符を買うのに手間取る。私が住んでいる所は路線はたった一つである。しかし・・・券売機には沢山の路線、運行会社が書いてある。どれを押せばいいのか?モタモタしていると母が「ここを押すのよ!」と横からサッと押した。電車に乗る時もモタモタしている私を追い越してサッと乗り込み座った。そしてカバンを横にどさっと置いてから「ここ、ここ」と大きな声で手招きをする。やはり田舎育ちの私とは違うと・・・。でも恥ずかしい。おばさんそのものの図々しい行為・・・まっいいか。

車窓を見ていると「大きいビルが増えたねー前はこんなのなかったわ」そそそれっていつ頃の話?「私がじょがっこうの頃。」60年、もっと前の話である・・・。私は何とも言えず・・・。やっと東京に着く。在来線の場所から新幹線乗り場までどちらに行けばいいのか?ウロウロキョロキョロ。。。キヨスクの人に聞く。エレベーターに乗って上がるとのこと。

エレベーターに乗った。降りようと乗った方に向く。後ろにいた婦人の笑う顔が・・・「そちらから降りるようになっています。」「・・・???」着いた、反対のドアが開いた。「驚いた、○○市にはこんなのないわ」笑いながら「そうですか」と言って降りていった。

続く

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2008年3月12日 (水)

春が来た

ここの所、暖かい日が続いている。

『書を捨てよ!野に出でよ!』と思う。太陽がサンサンと降り注いでいる。こうなるとじっと家の中にいられない。草引き、花の苗植え、野菜の植え替えなどなど、狭い庭で1日中過ごしている。パソコンはバーチャルな世界である。前ほどの興味がなくなってしまった。

自分が植えた種が芽を出す。育つ、花が咲く、種が出来る。一粒の種から20~30個の種が取れる。なんと凄い生命力、不思議だ。1ミリにも満たないたった1個の種が何十倍にも増える。それを今年全部植えれば、来年は100個くらいの種が・・・その次の年は・・・ねずみ算式に、増えていく。驚き桃の木である。自然は人間の思いなど置き去りにして、黙々と命をつないでいっている。

『年年歳歳花相似たり、歳歳年々人同じからず』 庭の水仙、しだれ梅、私の花や木に対する知識がなく、かなり過酷な環境におかれていた。しかし、花が咲いた。この生命力、私も見習いたいものである。「黙々と命のリレーしだれ梅」 「春が来た花の歌声ランラララ」

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2008年1月22日 (火)

私の好きな言葉 2

ー旧約聖書よりー

何事にも時があり

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

人が労苦してみたところで何になろう。・・・・・

神は全てを時宜にかなうように造り、また、

永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、人は

神のなされる業を始めから終わりまで見極めることはできない。

ー新約聖書ー

栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、このように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。・・・『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩うなかれ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・明日のことまで思い煩うな。明日のことは明日自らが思い煩うであろう。その日の苦労は、その日だけで十分である。

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

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私の好きな言葉 1

ー旧約聖書・コヘレトの言葉よりー

なんという空しさ なんという空しさ すべては空しい。

太陽の下、人は労苦するが すべての労苦は何になろう。

一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。

日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。

風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き

風はただ巡りつつ、吹き続ける。

川はみな海に注ぐが海は満ちることなく

どの川も、繰り返しその道程を流れる。

何もかも、もの憂い。

語り尽くすこともできず

目は見飽きることなく、耳は聞いても満たされない。

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。

太陽の下、新しいことは何ひとつない。

見よ、これこそ新しい、と言ってみても

それもまた、永遠の昔からあり この時代の前にもあった。

昔のことに心を留めるものはない。

これから先にあることも

その後の世にはだれも心に留めはしまい。

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2008年1月 1日 (火)

2008年・正月

一歩踏み出す

2008年となった。お正月とて何も変わったことはない。地球が1回転しただけである。などと言えば天邪鬼と言われそう。いや私は元々天邪鬼的な性格傾向を持っている。人と同じというのが嫌なのである。学生時代は奇妙な服装をしているのに、会社の面接になれば決まったようにリクルートスーツを着ているのを見ると「私なら真っ赤なスーツをきていくわ」と思う。

大方の人が年末「忙しい、忙しい」と言いながら年賀状を書いている。かっては私もそうであった。あまり忙しくもなかったが・・・。年も明けていないのに「明けましておめでとう」とは如何なものか・・・おめでたくもないのに「おめでとう」とは・・・それで10数年前に止めた。虚礼廃止でいこうと思った。当然のことながら、年を経るごとに賀状の枚数は減っていった。年賀状をなくしただけでスッキリした。シンプルライフの始まりである。(それでも数枚は頂く。その方たちには寒中見舞いを書くことにしている。)

「おめでとう」と言う気にもならない。儀礼的にいうことはあるが・・・。子供の時は「お年玉」をもらえるので単純に嬉しかったけれど。1つの区切りとしての正月という認識はある。昔は「お正月から○○○しよう」と目標を立てていた。何度目標を立ててきたか。しかしそのほとんどは見事に1年続いたためしがないのである。

毎年、3月にパーキンソン病の女性の集まりが開かれている。(4年前にAさんが誘って下さり、名簿に加えてくださった。)今年もその案内メールが届いた。今まで参加すると言いながらいざとなると不安になり、キャンセルしてしまい、未だ1度も参加したことがない。昨年の幹事さん(Kさん)は、とても熱心に誘って下さった。メール、手紙、ハガキと何度もである。参加、不参加の締め切りはとうに過ぎていたがその熱意にほだされ、参加することにした。ギリギリまで返事を待って下さったにも関わらず、やはり直前になってキャンセルしてしまった。いつももう一歩が出ないのである。今までも「その一歩」が踏み出せないことが何度もあった。特に病になってからこの傾向が顕著になっていた。もう一歩踏み出していれば、得られたであろういろいろなものが・・・こぼれ落ちてしまったと思う。

「今年こそは参加しよう!」と決意をしている。「40時間無動体験」以来、少々のことではオロオロしなくなった。もう2度とあのような思いはしたくないが、あのような凄まじい体験のおかげで「1歩を踏み出す勇気」が与えられたのである。これこそ1番の『事故の効用』かもしれない。

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2007年10月26日 (金)

価値観の転換

2月の事故後(40時間無動体験)何だか自分が少し変わったように思う。死にそうな体験をしたことにより今まで持っていた価値観が違って来たのである。

パソコンを最初に習ってパソコンを始めて時、インターネットやメールなどすることに夢中になった。バーチャルな世界だと言われていたが、病を持っているがために(震えたり、ヨタヨタ歩く姿を見られるのが嫌であった。)家にひきこもり状態になったいた。夜遅くまでメールを書いたり、インターネットをしたり・・・していた。

しかし、最近パソコンをすることにあまり執着心がなくなったのである。メールもあまりしなくなった。しかし手紙は書いている。バーチャル世界で顔も見たことがない人達と意見交換したり、メールをしたりするのは『空』だというように思えてきた。障害を持っているがために自分一人で外に出かけられない人達にとっては、インターネットは世界を広げてくれるだろう。私はパーキンソン病をもっているが、有難いことに薬が効いていれば外に行くことも出来るのである。

パソコンを使ってまで顔も見たことのない人と、やりとりすることはないではないか?それよりも自分の生活している周囲にいる人達と(隣人)つきあいをする、メールも便利だけれど手紙を書く方がいいではないか?貰うと何となくうれしくなる。手が不自由ならばメールは便利である。私は2月の入院からずっと右手が不調で、顔を洗ったり歯を磨いたりすることがなかなか出来なかった。右手が使えないということは、本当に不便である。字も書けない、右手が駄目ならと左手で書く練習を始めた。退院する頃には拙いながらも何とか左手で書くことが出来るようになったのである。

退院時、主治医が右手は骨折もないし、腱板損傷もみられない、筋電図も以上なし、無理をしないで少しずつ動かすようにしていくと動くようになるでしょう。幸い私の右手は少しずつ動くようになってきた。(自分なりにリハビリをしていた。草取りなど、いわゆる生活リハビリである。)薬が切れると手が振るえるので書くことは出来ない。しかし効いている時は書けるのである。それならメールより自分の手で(たとえ拙筆でも)書いた方が心が伝わるような気がした。

以前、パソコンに向けていた時間を最近は、ガーデニングのほうに向けている。ガーデニングといっても猫の額ほどの庭である。花だけでなく野菜も作っているので家庭菜園といったほうがいいかもしれない。事故の前は見向きもしなかった道端に咲いている小さな、草花に目がいくようになった。コンクリートの割れ目から小さな花が咲いていたりするのを見ると愛おしいと思うのである。

人間だって小さな草花だってこの地球に何らかのきっかけで、また偶然により大きな力で生かされているのだと思う。生かされている命であると思うと自然に何事にも謙虚になる。全てのことに感謝するようになる。今の自分は外観は何も変わっていないが、少しは謙虚になり、何事にも感謝が出来、自分のことだけでなく少しは人のことも考えられるようになったと思う。

ただ、命をかけなければならないような場面に遭遇したならば、そんな行動は取れないだろう。他人を押しのけてでも自分は助かろうとするだろう。コルベ神父(曽野綾子著『奇跡』の中に出てくる人。実際にあった話)のようには絶対なれない。同じ人間でありながらこの違いは何だろう?

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2007年8月31日 (金)

朝顔を見ながら・・・。

朝顔が始めて一輪咲いてから、少しずつ他の蔓の朝顔も咲き始めた。それから朝、起きるのが楽しくなった。「今日は何輪の朝顔が咲いているかな?」

後からくる朝顔のために南天に移動した朝顔は、毎朝5~6輪咲いている。紫がかった青でとても綺麗ないろである。始めて咲いた朝顔が種になっていた。そっと取ってみた。中には4粒の種が入っていた。

朝顔の世話をしながら、色々なことを思った。今までの私だったら見向きもしなかっただろうと思う。自然の不思議さを今更にして(この年になって)実感した。5ミリにも満たない1個の種が芽を出し、日に日に伸びていきやがて鮮やかな花を咲かせる。小さな小さな種のどこにそのような生命があるのだろう。

見かけは同じ種でも、良い種と出来のよくない種があることも知った。いくら土壌が(環境が悪くても)良い種はそれなりに成長する。悪い種(弱い種)は双葉をつけたまま枯れてしまったり、成長してもほとんど花が咲かない。葉の色も悪いのである。弱い種もよい環境を与えると育ったかもしれない。だが私はどのようにすればいいのか?分からなかったのである。肥料を買ってきてやったりしたけれど・・・。

今朝、種を取った。よく咲いた朝顔の種と、そうでない種とを別けておいた。(弱い朝顔は種が少ない)来年はもっと知識を仕入れて弱い種の環境を整えてやろう。少しでも綺麗な花が咲くように・・・。

暑かった夏も(8月)も今日で終わる。咲く朝顔の数も少しずつ減ってきた。過酷な環境の中で毎朝、咲いてくれた朝顔、来年はどんな花をつけて私達を楽しませてくれるだろうか?真っ赤なサルビアも花が日毎に散っていく。

”年年歳歳、花相似たり、歳々年々、人同じからず”

『自然淘汰』 自然界では強いものだけが生き残り弱いものは消えていく。遺伝子の自然選択が行われる。弱い朝顔の種もそのままにしておくほうがよいのかもしれない。私が今ここに生きているのも自然淘汰によって存在している・・・。そう思うと超幸運な様々のことの積み重ねがあって、生かされているのではないか・・・。ここに存在していることは凄いことだ。朝顔も私も偶然によって生かされている存在と・・・どんなにしても死ぬ時は死ぬ、生き残る時は生き残る。命ひとつさえ自分ではいかんともし難い。ならば自然の声に従って淡々と生きるしかないように思う。(朝顔を見ながら・・・。)

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2007年8月17日 (金)

墓参

私の父は次男であった。現在の墓地はその昔に父が買っていた。町が農家の次男を優先的にしかも、安く売ってくれたのである。買った本人が1番に入る事になった。

太陽がギラギラ照りつける中、昭和55年(1980年)、27年前の冬に寒さの中でなくなった父のことを思い出していた。突然の死であった。弱さゆえ酒に溺れ自己崩壊をおこしていった。父の酒は母を苦しめ、家庭崩壊を起こしていった。

私もそんな父を拒否していた。父がなくなったと聞いた時、「なんでそんなに簡単に死んだのか?もっと苦しまなければ母や家族は報われないではないか。」と思った。時は嫌な思いを風化させ、いい思いでだけを残してくれる。

神谷美恵子著『人間を見つめて』に書いてあった言葉を思った。

「苦悩から逃げていては、何も解決しない。もし、新しい出発点を発見しようとするならば、やはり苦しみは徹底的に苦しむほかはない。」

「自分のかっての容貌はおろか、喜怒哀楽の表情も表しえなくなった顔をも自分のもの、自分の存在を表示するものとして容認しなくてはならない。」

「現世に生きるかぎり、生命と精神の矛盾のなかで生き抜くことこそ、人間に与えられた運命である。」

「人間に必要なのは無条件の許しと、それを素直にうけとめる『砕けた心』でしかないと思う。」

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2007年8月12日 (日)

凄いこと

今日、久しぶりに墓参した。母と弟と3人で。解けてしまいそうな熱さの中、手を合わせながら思った。私の父、そのまた父の父、父の父の父・・・・・。(郷ひろみの歌ではない。)命は連綿と続いて今、私がここにいる、これは凄いことなんだ。と。

生命が誕生してから、今の私になるまで35億年かかっている。私の年齢は35億年+○歳となる。氷河期があったり、戦争、天災、病、その他いろいろなことがあっただろう。それでも私の父のその父の・・・つまりご先祖様は生きて命をつないできて、今の私がいる。

そう考えると、与えられた命を粗末にしてはいけない。今、ここにいる自分はもの凄い、幸運と強い遺伝子と、少しの偶然によって生き延びてきた存在なのだ。たとえ病を持っていようと・・・自分の命は35億年の上にたっている。宇宙年からみると、私という存在は瞬きをしたくらいでしかない。

何故、何ゆえ自分は病を持って存在しているのかと問うのは、無粋であろう。問う者としてではなく、問われる者として・・・生きる心構えが肝要と思う。

それにしても暑い。地球は確実に温暖化しているような気がする。

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2007年7月31日 (火)

アサガオ・揃い咲き

紆余曲折しながら成長していたアサガオが花開いた。7月31日。けなげと言うか、逞しいと思うか・・・。天空の青(少し紫がかった)、感動ししばらく眺めていた。5ミリにも満たない茶色の小さな種が、こんなに素敵な花に・・・。感慨無量!

アサガオから色々なことを学んだ。自然の不思議さ、偉大さ、謙虚、障害があってもめげないでいる強い心等など。

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2007年7月18日 (水)

アサガオ咲く!

台風の通り過ぎた朝、どうなっているか心配でアサガオを見にいく。なな何とかなり強い風と雨に打たれたにも、関わらず一輪の花が咲いていた!!!

咲いたアサガオは短い柵に巻き付いていたが、途中で隣の柵に移った。しかし隣のアサガオが下から伸びてきたため、今度は隣の南天に乗り移ったアサガオである。何と謙虚な生き方であろう!いや、したたかなのかもしれない。

どちらにしても、私の蒔いた3mm程のアサガオの種ががグングン伸びて、こんなに綺麗な色の花をつけたのである。考えるほどに不思議である。愛おしい!咲いてくれてありがとう!

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2007年7月13日 (金)

アサガオ

日毎にアサガオは蔓を伸ばしている。一番、成長が早く、隣の垣に移動したアサガオは?自分の巻きつく場所を占領されたアサガオは?

場所を占領されたアサガオは気にする様子もなく、自分の場所でスクスクと蔓を伸ばしている。一方一番早く成長し、自分の所の垣から隣に宿替えをしたアサガオは、なな何と下から伸びてきたアサガオに気を使ったかのように、隣に植えてある、南天の木に乗り移った!!!

それを見た時は、本当に仰天してしまった。何という謙虚なアサガオであろうか。そして賢いアサガオであろうか!!南天はさぞかし驚いたことであろう。アサガオが突然、闖入してきたのだから・・・。(写真は後日掲載予定)

他のアサガオはそれぞれの場所で、順調に成長している。(2種類植えたのだが、ひとつは全く蔓が伸びないで横に横にと成長している。蔓のないアサガオがあるのだろうか?)

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2007年7月10日 (火)

写真

以前はパソコンに、息子からもらったスキャナーをつけていたので写真を取り込むことが出来ていた。パソコンを変えたとき、既に息子はこちらにはおらず、(私のパソコンの先生であった。)スキャナーの取り付け方が分からず、物置のなかで眠っている。(デジタルカメラを持っていない)

写真を携帯電話で撮って私のパソコンに取り込むことが出来ると、最近教えてもらった。携帯で写真を撮影し、それをメールに添付して私のパソコンに送信する。届いたメールの写真を編集すればいいそうだ。そうか、そういうやり方もあるのかと思った。早速やってみた。AUの携帯電話で朝顔を撮影した。そして自分のパソコンに送信した。(説明書を読み読みながらでの作業である)

自分のブログに載せようと、朝から苦心惨たんしながら何とかブログに載せることに成功。しかし、本文を書く所に載せたいのだが見出しのところしか載せられない。サイズの調整もどうしてよいのか?分からない。そもそも携帯電話で撮影するということも、ほとんどしていなかったのでどのように撮ったらいいのか?分からないのである。

とりあえず、朝顔の写真を見出しの所に載せることが出来た。(^^;)(^^;)?

小さな写真だが自然の不思議さ(アサガオ)を、見てみてください。まるで目がついているかのような・・・掲載しているアサガオは1番成長の早いアサガオである。垣のある方向が何故分かったのか?その垣は他の垣より少し短い。蔓がこのまま伸びると蔓の行き場所がなくなる。それが分かったかのように隣の垣に寄って行き遂に隣の垣に蔓をからませた!!のである!!隣のアサガオの蔓はどうするのか?それにしてもどの蔓も右回りに蔓を巻きつけている。

人間には右ききと左ききがいる。私は左利きで天邪鬼である。一本くらい左に蔓を巻きつける天邪鬼なアサガオは?ないのかしらん。こんな事を考える私はおかしいのだろうかしらん。(知らん。)

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2007年7月 5日 (木)

不思議なこと・2「つばめ」

私達が今住んでいる世界、不思議なことが沢山ある。以前、民報ラジオで『子供電話相談室』というのがあった。今もあるかどうかは知らない。『大人電話相談室』というのをしてくれればいいのになあと思う。芸の無い(ノー)人ばかり出ているテレビは見る気がしない。金太郎飴のようにみのもんた、さんま、しんすけが出ている番組も嫌である。現在はもっぱらFMラジオを聴いている。

大人になっても分からない事、知らない事がたくさんある。物理、化学、数学、国語、等など誰でも不思議だと思うことはあると思う。例えば私は未だにマイナスとマイナスをかけるとどうしてプラスになるのか?分からない?そのような疑問に対して、その道のプロを呼んで答えて貰う。この企画はなかなか良いと思うのは私だけであろうか?

ツバメが毎年我が家の玄関の上に巣を作る。2、3日前まで親が取って来たエサを六羽のヒナがチュウチュウチュウと大きな口を開けておねだりしていた。今日はと見ると巣から出て誰もいない。飛ぶ練習でもしているのだろうか?以前から親はどのヒナにエサをやったのか?覚えているのだろうか?順番にやっているのか?一番大きな口を開けているヒナにやっているのか?それを確かめようとずっと親が取ってきたエサをヒナにやるのを、半日近く見ていたことがあった。しかし、ツバメのヒナはどのヒナも同じ顔をしており、さっきエサを食べたヒナか違うヒナか?分からない。左のヒナから番号をつけて見ていたが巣の中で入れ替わっているかも知れない。

6羽とも、順調に育っているところを見ると同じようにエサを食べているのだろう。昔、5つ児ちゃんが生まれて話題になったが、よく見てみると少しずつ違う。でも一卵性5つ児だったら・・・誰が洋平君か、太一くんか、○○くんか?わからないだろう。(一卵性5つ児が出来る可能性は分からないが)ツバメにも一卵性双子なんてあるのだろうか?考えれば考えるほど疑問が湧いてくる。

親はいつエサを食べるのだろう?ヒナのエサと自分が食べるエサを区別しているのだろうか?巣の下によくトンボの死骸が落ちていた。トンボはかなり大きい。体長5cmはある。それでか?ヒナの口が身体より大きいのは?ある程度大きくなったヒナは食欲旺盛である。親ツバメは夜になってもエサを運んでいた。

昨年は我が家に誰もいなかった。ツバメの糞を掃除していると、前の家の奥さんが「不思議ですね、毎年来ているのに昨年はツバメ来ていなかったのですよ」と言った。ツバメは昨年はどこに巣を作ったのだろうか?住人がいてもいなくても関係ないと思うのだが・・・何故住む人がいないということが分かったのだろうか?そもそも毎年我が家に来るツバメは我が家で生まれて巣立ったツバメなのだろうか?もしそうだとすると、どうして南の家を知るのだろうか?我が家で生まれて育ったツバメなら我が家は分かるだろうが・・・。

(アサガオは4本が蔓を伸ばして竹に巻きついている。何故竹の場所が分かるのだろう?この世は不思議だらけである。何故、国民は政権を変えようとしないのだろう?真面目に収めた年金も消えてしまい、税金は上がる、福祉は切り捨て、教育基本法は変えられ、憲法まで変えようとしている現政権に文句を言いながら・・・現政権に投票したりするのだろう。棄権する人は文句言う資格はない。)

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2007年6月29日 (金)

アサガオ

40時間の無動体験をしてから、植物に目がいくようになった。今まであまりと言うか、ほとんど関心がなかった。今は路傍に生えている草花を見ると「いじらしい」と思うようになった。

5月末にアサガオを植えた。全部で20個。毎日水をやりながら眼が出るのを待っていた。10日くらい経ったとき最初の葉が出てきた。子供のように「出た!出た!」と母に告げた。小さな小さな双葉である。それから毎日少しずつ伸びていき、双葉が10センチ程になった。近くの園芸店で一本20円の竹を10本買って5本づつひもで組み合わせ垣を作った。

1番最初に眼を出したアサガオから垣まで少し離れている。近づけてやろうとした。ところが驚いた事にアサガオの方から竹の方に近づいているのだ!こここんな事が・・・。植物が意思を持って竹に近づいていったとしか思えない。以前、菊展でいつも大賞を貰う人にインタビューしていた。「りっぱな菊を作る秘訣はなんですか?」

「簡単です。毎日菊に話しかけてやるのです。お前は器量良しだ、美人だと」それを聞いた時、この人は菊作りのこつを教えたくなくてわざとこんな嘘っぽいことを言っているのだと思った。しかし、アサガオを見ているとあながち嘘でないのではと・・・思い始めた。植物にも心や意思があるのかなー。

早速、スケッチブックを取り出してアサガオを描いた。竹に近づいていたアサガオが遂に竹を捕らえ巻きついていた。写真を撮っておこう。パソコンに取り込めないのが残念である。それにしても不思議だ。

聖書に「アポロは植え水を注いだ。しかし、育てて下さるのは神である」と書いている。不思議なことはいっぱいある。その話は又の機会に・・・しよう。

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保険給付

保険給付のことを考えているとどう考えてもおかしい。

事故は交通事故とそれ以外の事故に別けられる。交通事故は急激な外因性ということは、はっきりしている。それ以外の事故について不慮の事故を起こしたとき、不慮の事故を内因性と外因性に別けることのおかしさを指摘したい。

病持ちが転倒して怪我をした時、外因性による偶発的な不慮の事故と見なされない。何も病がない人なら事故とみなされる。病があろうとなかろうと不慮の事故とみなすべきではないか。毒物中毒は偶発的で外因性による不慮の事故。食中毒は不慮の事故とはみなされない。(O-157は事故とみなされる)何でこんなわけ方をするのだろうと思う。

階段で足を踏み外して怪我をしたら、事故と認定される。但し病を持っていない場合である。病を持っていると事故とみなされない。何も病を持っていない人は少ないだろうと思う。この間、保険組合のひとが 説明にきた。(交通事故以外で)不慮の事故で保険金が支払われるケースは少ないでしょうね。と言うと「そうですね、あまり多くないと思います」と言った。

不慮の事故は内因性と外因性に別ける必要はないと思う。でないと不慮の事故に対して保険金をもらえる人はほとんどないだろう。あっても少ない。

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2007年6月27日 (水)

良い医者の条件

最近、母の血圧が異様に高い。特に朝起きてすぐの血圧は上が200近い。食事をして薬を飲むと下がってくる。怖いといわれている『早朝高血圧』である。

現在、母が診てもらっているドクターは循環器・心臓専門である。最初のうちはよく説明をしてくれるのでまずまずのドクターと思った。血圧の薬を色々と変えてくれるが、下がらない。そのうちふらつきがますます酷くなり、階段を上がるのださえ、難儀するようになった。私はインターネットで処方されている薬を調べた。その結果、飲み合わせると「めまい」、「ふらつき」が出ると・・・。

いわゆる、併用禁止薬であった。病院に行きそのことを言うと「やめましょう」と言う。次に朝の薬を半分夕方に飲むようにした。それでも早朝高血圧は改善しない。私は聞いた。「母は夜、眠れないとスタンドをつけたままで本を読んでいる。睡眠が昼夜逆転している、いわゆる時差ボケの酷くなった状態。血圧が朝高いのはそのせいではないか?」ドクターは「関係ありません」

そして、今度は利尿剤を処方してくれた。それでも朝の血圧は、高い。ふらつき、めまいも改善しない。脳のほうがどうかなっているのでしょうか?「関係ありません!必要と思えばこちらが指示して調べます。と・・・。そして「生活習慣も規則正しいものにしていくことが大切です。」と言う。最初に私がそのことを指摘したのに・・・。そして「何と言っても歳ですから・・・。」こちらが何を聞いても「歳ですから」と言うばかり。

この医者は何も分かっていないのでは?と思った。何か聞くたびに「歳ですから」と言われる母は怒っている。あべこべではないか?患者が「もう、歳だから仕方ないのでしょうか?」と言うことはよくあると思う。それに対して医者は「歳だと考えないで、高齢になっても毎日なるべく快適に過ごせるようにかんがえましょう」と言うのが本当ではないのか?患者を落ち込ませるような言葉を医者から言うなんて・・・。めまい、ふらつきの原因を調べようとするのが医者のあり方ではないか?

良い医者にめぐり合うのはなかなかである。少なくても医者は必要な最低の知識を持って、患者の心をすくい上げるようにする。出来れば患者の生活状態をある程度知っていることも必要ではないだろうか?忙しいなら「医者助手」を配置してその患者の環境などの情報を知っておくことが大切だと思う。眼の前の木ばかり見て(診て)森が見えないのでは困る。(馬でも調教師の下に調教助手がいる・・・馬と一緒にするなって。どうも失礼!)

(私が考える良い医者の条件)

1、高い、技術と見識を持っている。

2、患者の訴えをよく聞く(傾聴)

3、患者を落ち込ませるような言動をしない。

4、間違ったら、素直に謝る。

5、自分で手に負えないと思ったら、専門医に紹介する。

良い患者の条件もあると思うが、又の機会に書くことにする。

結局、26日に知り合いの方のご主人さんのクリニックに行った。(市民病院に行くと家族割引で、費用はかからないが・・・。)高慢な言い方かも知れないが、よく勉強していると思った。それにとても親切であった。きちんと説明もしてくれた。母にも優しく接してくれた。行ってよかった!

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2007年6月23日 (土)

私の視点

このブログを書いていると、私は何故、どの立場でものを言っているのだろうか。と思う。政治のことにしろ、福祉のことにしろ・・・。

何故、こんな事を書いているのだろう。何故か、心の中に溜まった澱を消化しそれを昇華するためなのか。自分でもよく分からないがそういうことも少しはある。で、私の視点はと問われれば・・・ミーハー的、天邪鬼的なという感じで書いている。確たる信念を持っているわけではない。

しいて言えるのは、(落ちこぼれながら洗礼を受けて神の存在を信じている)キリスト教的な視点で物事を考える事が多いかもしれない。この世の規範で物事を考えると善とされていることが、神の前では必ずしもそうではない事がある。又、その逆もある。キリスト教的視点とは?いわゆる身分、地位、障害、金持ち、能力(その他色々)などで人を判断しない。ことかな?

私は昔から強いものに対して反発を覚える性質がある。その昔「巨人」、「大鵬」、「自民党」と言われていた時期があった。その流れが今も続いている。学生時代は一応学生運動もやったけれど、遊びというくらいのものであった。平和主義者を自認していたが、現在、自分はそうではなくなった。よく考えると真の平和主義者というなら、もし我が家にナイフを持った賊が入り、襲ってきても絶対に応戦してはいけない。自分は人間に備わった本能である『防衛反応』として、近くにあるものを持って応戦すると思う。

真の平和主義者になるのは、並大抵ではなれないと思う。その昔、原子力反対運動をしていたこともあった。しかし、その恩恵を受けながら反対をするのはどう考えても矛盾している。いくら言葉でデモをして叫んでもそんな行為は屁と同じだと思った。そして全てやめた。だが、真偽を見極める眼は持っていたいと思う。そしてこれはどうしても黙っておられない、と思ったら何か行動を起こす心準備はしていたい。黙っているのは黙認したと同じ事だと思うから・・・。

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2007年6月22日 (金)

保険給付について・疑問

保険組合に保険給付についての疑問を書いて送っていた。相手はそれを意義申し立てとして受け取った。今日保険組合の人が直接我が家に来た。

持ってきた文書

不慮の事故については事故の扱いにつきましては「急激かつ偶然の外因性によるもに」と定めております。具体的には以下の場合です。

1、歩行中に何かにつまづいて転倒したとき。

2、階段の昇降時、他人に接触して押され、転倒したとき。

3、水泳中におぼれたとき。

4、誤って毒物を飲んだり食べたりしたとき。

5、上からもの物が下したことで負傷したとき。

これだけ見ると私は1、に相当する。もっと詳しく具体的に書いてくれないと分からないと言った。保険組合の人が出してきた文書。

<不慮の事故および不慮の事故による障害の定義>

1、この保険契約において「不慮の事故」とは、急激かつ偶発的な外来の事故による障害

2、前項において「急激」、「偶発」、「外来」とは、次の各号に定めるものをいう。

①急激 障害の原因となった事故から障害の発生までに時間的間隔のないこと。慢性、         反復性、持続性の強いものは該当しない。

②偶発 障害の原因となった事故または障害の発生が被保険者にとって予知できないことをいう。被保険者の故意にもとづくものは該当しない。

③ 外来 障害の原因が被保険者の身体の外部から作用するものをいう。体の身内部的原因によるものは該当しない。

対象となる不慮の事故とは、急激かつ偶発的な外来の事故(ただし、疾病または体質的な要因を有する者が軽微な外因により発症しまたはその症状が増悪したときは、その軽微な外因は急激かつ偶発的な外来の事故とはみなしません。)

昭和53年12月15日行政管理庁告示第73号・厚生省大臣官房統計情報部編「障害・疾病および死因統計分類提要 昭和54年板

(例)やけど

やけどの原因がやかんをひっくり返して熱湯がかかった場合は、急激かつ偶発的な外来の事故になる。

(例)転倒して頭を打った

転倒した原因が、階段で足を踏み外したような場合は不慮による事故となる。しかし、もともと何らかの発作を起こす体質の人が(発作が起きて)転んで頭を打った場合は外来性がないということになり不慮の事故には該当しない。

(結論)

私の場合も結局、パーキンソン病があるために、不慮の事故ではあるが、外因性に因るものではなく、病に因るものとみなされて、事故と認定されなかった。

(感想)

不慮の事故、それによる障害の定義がおかしい。何度読んでも納得できない。しかし、どう転んでも事故という認定に変わることはなさそうである。

骨折り損のくたびれもうけ!!

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2007年6月11日 (月)

少し頑張り過ぎたかな・・・。

最近、庭に生えている草引きをリハビリを兼ねてやっていた。草を引きながら庭を眺めていると色々なことが気になる。庭木の配置、植えている木などなど・・・。配置換えをしようとサツキの根を掘り出した。上に出ている部分は少しだった。ところがいざ掘っていくと、これがどうしてどうして地上に出ている部分より3倍も根をはっているである。

それも複雑に絡み合っているのである。掘り出すのはなかなか大変である。しかし掘り始めたからには途中で止めるわけにはいかない。だんだんむきになってくる。回りに伸びている根を1つずつ切り離し、少しずつ掘り起こしていく。そうして5本のさつき、つつじ、椿の木を掘り出して配置換えをした。

母や母の友達は「それは専門家にでも頼まないと無理よ」と言う。お金を出してして貰うのなら意味がない。庭を(猫の額ほどだが・・・)眺めながら自分で1つずつ配置換えをしていくのが楽しいのである。最初はむきになってやっていたが、やっていくうちに根を掘るのはパズルを解くような面白さがあると思うようになったのである。

そうやって出来た空間に朝顔を蒔いた。自分で蒔いた種のことが気になって蒔いた翌日から毎日「まだ出ないかな」と見に行くようになった。そんなにすぐに出るはずはないと笑われながらも、肥料をやったりしながら毎日見に行った。朝に晩に水もやった。

10日程経った朝、小さな小さな双葉がひとつ出ていた。それを見た時、子供のように「芽がでたよ!」と急いで家の中にいる母に言いに行った。自分で蒔き、肥料をやり、水をやって出た、ひとつの芽。とても愛おしく感じた。今まで草花になど興味がほとんどなかった。考えてみると不思議である。5ミリにも満たない小さな小さな種が芽を出し、双葉になり、今では四葉になり、やがて赤や紫の花が咲くのである。

聖書の中の言葉が浮かんできた。「アポロは植え水を注いだ。しかし育てて下さるのは神である」40時間の無動体験をしてからの自分は変わったと思う。見た目には以前と同じようにみえるかもしれない。しかし、道端に生えている草花を見ても以前は何も感じなかった。今はそのような小さな草花を見ると、けなげに咲いていると思うようになった。

あがいてもあがいてもどうしようもない事もあると思うようになった。人間はいつかは死ぬのである。どちらに転んでもたいして変わりはないと思うようになった。いつどうなるか分からないと思うと、浮世の義理に捕らわれないで自分の思うように生きたいと思うようになった。体調の悪い日があっても以前のように一喜一憂しなくなった。どんな小さなことでもいいから、今まで自分が受けてきた色々のこと(目に見えないことも含めて)に対してお返しをしようと思うようになった。チャランポランも必要だと思うようになった。

自己中心的な自分であったが、少しだけ意識が変わってきた。私の所属している教会の牧師(引退して今は名誉牧師)に言うと「無理!無理!なかなか簡単には変わらんよ」と言われてしまった。それにしても少し頑張り過ぎたか?昨日、今日と薬の効きが悪い。

ああーしんど!

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2007年6月 4日 (月)

My Sun Birthday

一昨日は私の息子の(調教助手)誕生日であった。32年前、皆の反対を押し切って産んだ。現在でいうところのいわゆるシングルマザーであった。

様々なことがあった・・・。決して良い母親ではなかった。しかし彼は良い大人に成長した。彼も大学を卒業してから波乱万丈な日々が・・・。でも彼は彼なりにとても努力したのであろう。親が言うのもおかしいが、本当によく頑張ったと思う。

よく泣く子であった、あの子が今では一児のパパである。良き伴侶に恵まれ、可愛いベビーを授かった。今、思うことは家族の平安と健康である。親に出来ること・・・祈りしかないと思う。我が母79歳、私57歳、息子32才、孫1歳である。命は連綿と続いている。

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2007年5月28日 (月)

絵手紙

友達が絵手紙の個展をしている。

5月14日~5月31日までである。19日にノッチさんを誘って行ってきた。今日は赤穂から来たKさん(2006年弥生会幹事さん。熱心に誘って下さったのに直前に取りやめてしまった。)が行かれると聞き、行くことにした。あの時のお詫びも言わなければと・・・。

始めてお会いするKさんはとても素敵な雰囲気を持っておられる方であった。娘さんとご一緒であった。約束の時間ちょうどに着く。中に入ると既にOさんと共に椅子に座っておられた。何か始めて会ったという気がしない。保険給付が事故と認められなかった。という話を最初にしてしまった。納得いかないので質問を出すことにしたと言う。交通事故以外の不慮の事故を全て病のせいにするならば、出来ること。しかしその因果関係をはっきりさせるには綿密かつ詳細に検証しなければわからない事など・・・。するとKさんはそういう事故にも保険がおりるよう、頑張って勝利してください。と・・・。改めてネバーギブアップ!だと決心した。

Oさんの個展は静かな中にも、見た人の心の中にほんわかとした温もりを感じさせてくれるようで、好評の様子。あと3日で終わりです。未だ行かれてない方はどうぞ足をお運び下さいませ。何度見てもいいですよ。見なきゃ損をしたような気分になります。

Oさん、ありがとう!前回も奢って頂いたのに・・・今回は私がと思ってレジに行くと「もう、頂いています」いつのまに・・・どうも恐縮です。カレー美味しかったです。Oさんはどちらかと言うと寡黙な感じを受けるけれど、絵で表現しているから、私のようにベラベラ無駄なお喋りは必要ないのだと、改めてOさんの内面世界の豊かさに感服した。

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2007年5月26日 (土)

再び保険給付について

昨日は受診日であった。「事故」とは認められないという保険組合の審査結果を書いた紙を持ってドクターに見せた。ドクターも首をかしげて「事故と認識して書いたつもりですが・・・やはり基礎疾患があると駄目なのかなー?」と・・・。

何らかの病を持っていると、交通事故以外の事故は全て病と結び付けられた結果になってしまう。これでは何のために保険をかけているのか分からない。

どう考えても納得いかないので「審査結果に対する疑問」を書いて送ることにした。

①不慮の事故の定義「急激かつ偶然外因による事故」をいう。

急激かつ偶然な外因による事故とは?具体的な例をあげて説明して欲しい。事故が起きた真の原因は綿密かつ詳細に検証しなければ分からないと思う。病と因果関係があるかもっしれないし、ないかもしれない。何か病を持っていると、事故の原因を病と結びつけているのではないか?

②「転倒された後、起き上がることが出来ない状態が続いたのは、パーキンソンの薬が切れたのが原因である。」

薬は定められた時間に服薬していた。(2時間毎)服薬は20時で、転倒は21時15分だから、薬が切れたのが原因ではない。1回の服用で2~3時間は薬効が持続する。始めに転倒ありて、しかる後に薬が切れていったのである。

③「不慮の事故を直接の原因とする入院には該当しない

入院は転倒という不慮の事故により生じた悪性症候群(横紋筋融解)と傷の治療(顔面、右頬、顎、唇、胸の褥蒼、両足指の凍傷等の改善をはかるのが主目的である。薬の調整は2次的なもの。

④不慮の事故等の定義とその範囲を詳細に示して欲しい。

急激かつ偶然な外因により実際に保険金が支払われた事故について具体的な例をあげて示して欲しい。交通事故は除く。

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2007年5月16日 (水)

生まれ変わりました

突然の出来事(40時間無動体験)から3ヶ月、山々の緑が若葉色に変わった。私も新しい命を頂いたような気がしています。これからはお返しする人生を心がけようと思っています。どこが変わったのか?よく分からないと思われるかも知れません。まず、意識を変えていくことを自分に課しています。言うは易し・・・です。

『年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず』  劉廷芝

(花は毎年同じように咲くが、人は年毎に変わっていく。生まれる者あり死ぬ者あり。)

それで、背景も一新しました。

今は、右腕もかなり動くようになり少しずつ事故の後遺症はなくなっていっています。何よりも右腕が動くようになったことが、有難いと思います。筋力の衰えを取り戻そうと庭に出て草引きなどをやっています。リハビリを兼ねて・・・。庭は綺麗になる筋力はつく。一石二鳥です。ただやり出すとついつい時間の経つのを忘れて、薬の飲む時間がずれてしまったりします。家の中でパソコンをやっているよりも、戸外に出ている時の方が、薬効時間が長くなるような気がします。緑の(森林浴のような)持つ効果かもしれません。(我が家の庭は猫の額ほどしかありませんが・・・。)

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2007年1月 4日 (木)

久しぶりに母と弟で・・・。

2007年になった。いつもは、特に感慨もないが今年は 母と一緒に自宅でお正月をむかえられたことが本当に嬉しい。母と2年あまり心ならずも離れていた。母は「もう、死ぬまで自宅で正月ができない」と思っていたと・・・。それがこうして娘と2人で過ごせることが出来て夢のようだ」と。弟は仕事の関係でどこにも行けない。それで我が家に来る事になった。親子3人でお正月を過ごすのは弟が結婚してからだから15年ぶりである。 久しぶりに親子3人でたべた、年越しそばはおいしかった。弟もかなり苦労しているのだろうか。かなり髪の毛が薄くなっている。私もかなり薄くなっているが・・・。年賀状はもう10年くらい前から廃止している。母は40枚近く書いていた。しかしきたのは15枚だった。少なくなったと寂しそうである。(亡くなった方も何人かいるが)3人で年越しソバを食べている時に下に書いている言葉が浮かんできた。   

              最上のわざ     

この世の最上のわざは何?     

楽しい心で年をとり、

 しゃべりたいけれども黙り、     

失望しそうなときに希望し、     

従順に、平静に、おのれの十字架をになう・・・・・。     

若者が元気一杯で神の道を歩むのを見ても、妬まず、     

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、     

弱って、もはや人のために役立たずとも、     

親切で柔和であること・・・・・。     

老いの重荷は神の賜物。    

古びた心に、これで最期の磨きをかける。    

まことのふるさとへ行くために・・・・・。    

おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、    

まことにえらい仕事・・・・・。    

こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。    

神は最後に一番よい仕事を残して下さる。    

それは祈りだ・・・・・。    

手は何もできない。    

けれども最後まで合掌できる。    

愛するすべての人のうえに、神の恵を求めるために・・・・・。     

すべてをなしおえたら、    臨終の床に神の声を聞くだろう。    

「来たれ、わが友よ、我、汝を見捨てじ」と・・・・・。          

(ヘルマン・ホイべェルス、春秋社「人生の秋に」より)

御訪問下さっている方々、今年も宜しくお願いいたします。m( _ _ )m

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2007年1月 1日 (月)

めだたさも・・・。

2007年になった。あけましておめでとう!と素直には言えない。人間がひねているのだろう。昨日から今日にかわっただけではないか。などと年明けそうそう野暮なことはいうまい。(既に言っている)

 

まあ、目出度さも中くらいなりおらが春(一茶だったか?)

こんな心境かなー。何にせよ今年はますます庶民の生活は厳しくなるだろう。政権の交代を!憲法まで改悪させてはならないと思う。

昨年ご訪問してして下さったかた、又たまには立ち寄ってください。

よろしくお願いいたします。m(_ _)m

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2006年12月30日 (土)

今年もなんとか・・・生きられた

今日は12月30日、明日は31日である。(当たり前のこと、次は1月1日である)

私の言いたいのは1日1日は長いけれど、1年はあっと言う間に過ぎるような気がするのだ。最近は1日1日を何とかしのいで喘ぎ喘ぎ生きているような感じである。とくに最近姿勢反射障害が顕著になってきた。フラフラして転びそうになる。(小さい頃から野山を駆け回り、木登りをしたり川で泳いだりして、運動神経はよかった。かけっこも早かった。)

しかし、いくら昔はそうであっても、脳の中が侵されると自分ではどうしようもない。気力だけでは身体は動かない。普通なら何でもないことがとても難しくなってくる。財布からジャラ銭を取り出すこととか、布団を軽いものにしていないと身体にからみついてどうしようもなくなってしまう。身体にからまない布団はないのか?と思う。

夜、寝るのが苦痛である。寝返りが出来ないため、腰が砕けそうに痛い。睡眠薬を飲んでも薬が(Lドーパ剤)きれると、四肢が痺れて身体中あちこちが痛む。平均睡眠時間は2時間半である。眠れないから薬が効きにくい。痛みはストレスとなってフリーラジカルが増加しますます脳細胞が(黒質部)侵されて、減っていく。

最近はそんな悪循環を繰り返しているようなtがする。自律神経も副交感神経がほとんど働かず、交感神経だけが機能しているような気がする。呼吸や脈拍を司っている自律神経の影響か?時々心臓が苦しくなる。急に頭がジンジンしだす。血圧や脈拍がコロコロ変わる。朝、125-85、脈拍は55→午後、175-111、脈拍95になっていたりする。

睡眠時間が短い、自いく律神経の乱れなど・・・時々死ぬ予感に囚われる。いずれにしてもそんなに長くは生きられないような気がする。長くいきようとは思わないがせめて母が生きているうちは・・・。親より先に死ぬことが一番の親不幸だと思う。しかしこればかりは神のみぞ知る。いつどうなるか?何とかかんとか言いながら今年も何とか生きられた。

まだ、私に何かなすことがあるのだろうか。生かされている間はどんなに辛くても生きていくしかないけれど・・・。

ああーしんどもうこの辺で幕引こか、言ってみただけ花いちもんめ

仏様、アラーの神よ、イエスさま御利益あれば誰でもよろし

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2006年12月15日 (金)

教育基本法

教育基本法が改悪されようとしている。現憲法に書かいろれている教育基本法は世界に誇れるものだと思う。今、何故変えなければならないのか?安倍内閣や自民党(公明党)議員の中にも沢山この素晴らしい基本法の恩恵を受けて育ってきた人がいるではないか。愛国心は強制されなくても持っている。戦時中のように形だけ日の丸を拝み、君が代を歌えばそれでいいのか?愛国心は強制されて育つものではない。私は誰にも強制された事はないが日本国が好きである。

第2次世界大戦で沢山の命が失われた。その方達の血の代償と引き換えに得られた憲法(教育基本法を含む)ではないのだろうか。美しい国、日本を作るために、片道燃料だけ積んで連合軍の戦艦に特攻隊として出撃していった彼らの胸中を考えてみるがよい。南方で食料もなく弾薬もなく飢えと病で死んでいった彼らのことを思ってみよ!一瞬にして廃墟とかした広島、長崎。その時亡くなった何万人の人達は何のために死んでいったのか?日本本土の盾となって、壮絶な戦闘がくり広げられ沢山の兵士、一般住民が飢えと炎と、自決によって失われた沖縄!それら何百万の犠牲者があったから、今のような世界に誇れる『大日本国憲法』が出来たのではないのか?このような素晴らしい憲法を変えては、死んでいった人達の死を無駄にすることになりはしないか?

安倍内閣、憲法改正に(教育基本法)賛成する人達よ!その人達に何と言うのか?

教育基本法 (日本国)

教育基本法

  • 公布: 昭和22年(1947年)3月31日
  • 施行: 昭和22年(1947年)3月31日   

構成

上諭(公布文)
第1条(教育の目的)
第2条(教育の方針)
第3条(教育の機会均等)
第4条(義務教育)
第5条(男女共学)
第6条(学校教育)
第7条(社会教育)
第8条(政治教育)
第9条(宗教教育)
第10条(教育行政)
第11条(補則)
附則

なお、教育基本法の制定にともない、「教育基本法制定の要旨について」という文部省訓令も定められたので、この記事に掲載しておく。

[編集] 教育基本法

教育基本法

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法 の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第2条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第3条(教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。

2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第4条(義務教育) 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。

2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第5条(男女共学) 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第6条(学校教育) 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第7条(社会教育) 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。

2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

第8条(政治教育) 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。

2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第9条(宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。

2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第11条(補則) この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

附則

 この法律は、公布の日から、これを施行する。

[編集] 教育基本法制定の要旨について

文部省訓令第四号

教育基本法制定の要旨について

このたび法律第25号をもつて、教育基本法が公布せられた。

さきに、憲法の画期的な改正が断行され、民主的で平和的な国家再建の基礎が確立せられたのであるが、この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

思うに、教育は、真理を尊重し、人格の完成を目標として行われるべきものである。しかるに、従来は、ややもすればこの目標が見失われがちであつた。新日本の建設に当つて、この弊害を除き、新しい教育の理念と基本原則を打ち立てることは、今日当面の急務といわなければならない。

教育基本法は、かかる理念と基本原則を確立するため、国民の総意を表わす議会の協賛を経て制定せられたものである。即ち、この法律においては、教育が、何よりもまず人格の完成をめざして行われるべきものであることを宣言した。人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的に発展せしめることである。しかし、このことは、決して国家及び社会への義務と責任を軽視するものではない。教育は、平和的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。又、あらゆる機会に、あらゆる場所において行われなければならないのである。次に、この法律は、日本国憲法と関連して教育上の基本原則を明示し、新憲法の精神を徹底するとともに、教育本来の目的の達成を期した。

かくて、この法律によつて、新しい日本の教育の基本は確立せられた。今後のわが国の教育は、この精神に則つて行われるべきものであり、又、教育法令もすべてこれに基いて制定せられなければならない。この法律の精神に基いて、学校教育法は、画期的な新学制を定め、すでに実施の運びとなつた。

然しながら、この教育基本法を運用し、真にこれを活かすものは、教育者自身の自覚と努力である。教育に当る者は、国民全体に対する深い責任に思いを致し、この法律の精神を体得し、相共に、熱誠を傾けてその使命の達成に遺憾なきを期すべきである。

昭和二二年五月三日

高橋誠一郎

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2006年12月14日 (木)

特定疾患懇談会

パーキンソン病と潰瘍性大腸炎を特定疾患から外そうということにおいうなったが、いきなり切り捨てるのはどうか?という声が自民党議員の中からも沢山出て、当分は見送りになった。そもそも難病治療研究事業費用として出されている補助金である。それを病院の医療費として使うからおかしくなるのだと思う。 研究費は研究費として補助金を出し、医療費は医療費として補助をだすようにすればいいのではないか。医療費が大変になってきたから介護保険が出来たのだろうが・・・。40代、50代で発病すると経済的な問題がかなり深刻になる。子供がいれば一番お金がいる時期である。ヤール3になると仕事の遂行能力が低下してくる。また、オン、オフ現象が現れてくる。現在私は1ヶ月に1回病院を受診している。ヤール3になるまでは薬代が10,000円前後かかっていた。現在はそのときより沢山の薬を服用している。3割として、今自己負担をするといくらになるのだろう。現在は負担はない、有難いことと思う。 収入は障害者年金だけである。十分とはいえおないが慎ましく暮らせるくらいはもらえる。これで薬代を負担するとなると、どこかを削らなければならない。現在なら15,000円~20,000円はかかるだろう。削減出来るところといえば食費か?腹八分目でなく6分目にしなくてはならないかも・・・少しスマートになるかもしれない。すると昔のスカートがはけるようになるかしら?

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2006年12月10日 (日)

好きな歌・歌手

私は音楽がすきである。小学校からピアノを習っていた。音楽学校に行くつもりであったが先生に(叔母)少々リズム音痴だと言われた。それは練習で何とかカバー出来る・・・しかし決定的な問題があった。聴音が出来ないのである。単音なら分かるが重複音になるとてんで分からなかった。それで音楽の道は諦め、保育師の道へ進んだ。 歌うのは好きで高校では、コーラス部に入った。ソプラノであった。今は歌いたくても声が出ない。高校の時は舟木一夫の『高校3年生』が流行っていたが、全く興味がなかった。洋画の映画音楽や、森山良子、(ビートルズは別格)そして、私が一番好きな歌手は、中島みゆきである。彼女の歌は私の中心をなす。そしてカンツォーネもよく聞いていた。 中島みゆきの歌で好きなのは色々あるが、『ファイト』は中でもとりわけ好きである。時々無意識的に口ずさんでいることがある。最初聞いた時は、毛色の変わった歌だと思った。何度か聞いているうちに、私のリクエスト・テンに入っていた。辛い時、私自身への応援歌となった。  

                 『ファイト』               中島みゆき・作詞・作曲

1、あたし中卒やからね、仕事をもらわれへんのやと書いた女の子の手紙の文字がとがりながら震えてる ガキのくせにと頬打たれ、少年達の目がとしをとる、くやしさと握りしめすぎた、こぶしの中、爪がつきささる  あたし本当は目撃したんです、きのう電車の駅、階段で転がり落ちた子供と、突きとばした女の薄笑い あたし驚いてしまって助けもせず叫びもしなかった、ただ怖くて逃げました、あたしの敵はあたしです

 ファイト!闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう。ファイト!冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ

2、暗い水の流れに打たれながら魚達のぼっていく、光ってるのは傷ついて剥がれ落ちたうろこが揺れるから いっそ水の流れに身をまかせ流れ落ちてしまえば楽なのにね、痩せこけてそんなに痩せこけて魚達のぼってく 勝つか負けるかそれは分からない、それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてあいつは海になりました

 ファイト!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・震えながらのぼってゆけ

3、薄情もんが田舎の町に後足で砂ばかけるって言われてさ、出てくならお前の身内も住めんように しちゃるって言われてさ、うっかり燃やしたことにして、やっぱり燃やせんかった、この切符あんたに 送るけん持っといてよ、にじんだ文字東京行き  あたしのことならよかったわ、力ずくで男の思うままにならずにすんだかも知れないだけ、あたし男に 生まれればよかったわ、○○魚達の群れキラキラと海の中の国境越えてゆく、諦めという名のくさびを 身をよじってのぼってく

ファイト!闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろ、ファイト!冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ

他にはバロック音楽、とりわけバッハが好きである。バッハ以外に好きなクラシック音楽は色々ある。チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲変ロ短調第一番』は好きである。出来れば自分で弾きたかった。しかし、ソナタアルバム程度の腕では・・・?私が死んだ時の葬送曲にして欲しいと思っている。

ちなみに私の亡くなった父は、クラシック音楽が好きで自分で作った電気蓄音機でベートーベンやチャイコフスキーをよく聞いていたという。中でも一番好きだったのはサラサーテの『ツゴィネルワイゼン』だったそうである。

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2006年11月30日 (木)

誕生日

今日は私の○○回目の誕生日である。パーキンソン病を発病してから12年。病を宣告された時10年後はもう生きていないかもしれない。もし生きていても寝たきりになっているのでは・・・・・と思って暗澹たる毎日を過ごしていた。しかし、薬を飲めば何とか動けるし、自分のことは何とかスローだが出来ている。(時々、動けず辛い時間を過ごすことも増えてきたが・・・) 子供の時、50を過ぎた人はものすごくおばさんのように感じていた。しかし自分がその歳になってみると、結構若いように思う。自分が思っているだけで人はどう思っているかは???である。でもよくこの歳まで生きられたと思う。食品添加物、大気汚染などに晒されながら・・・。我々の世代が老人となるころ日本人の平均寿命はかなり低下しているだろう。 これから、どのくらい生きられるか、自分で自分のことがいつまで出来るか、先のことは分からない。人生の意味は最期まで生きて見ないとわからない。最期の日に「生きてよかった」と思えるかどうか。心の持ち方でかなり違ってくるような気がする。なったなり・・・明日のことは思い煩わないで生きられればいいのだが・・・言うは易しである。 めでたさも中くらいなり我がバースディ。今日はワインでも飲もうっと!!

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2006年11月29日 (水)

好きな言葉

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり・・・・・・・・・・・神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。(伝道の書より)

何を食べようか、何を飲もうかと・・・・・・自分の命のことで思いわずらい、からだのことで思いわずらうな。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。・・・・・あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。・・・・・野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。・・・・・栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、このように装って下さるのならあなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。・・・・・だからあすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(マタイによる福音書・6章より)

愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない、無作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。(コリント人への第一の手紙・13章より)

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2006年11月28日 (火)

節操のない人々

今朝の新聞に『造反議員11人復党へ』と1面に出ていた。郵政民営化の採決をする時に、民営化に反対票を投じ自民党を追われた人達のことである。情けないというより、あまりの節操のなさに呆れて言葉も出ない。かりにも国民から選ばれた国会議員である。来夏の参議院選挙を意識しての復党であることはみえみえである。その人の公約、信条に共感したから選挙で1票を投じたのである。 その、かりにも国会議員がいくら選挙のためとはいえ、こんなに易々と信条をまげていいものか?いやしくも国の代表としてそれなりの待遇を受けているのだ。我々の税金で。政治家がこうも易々と筋をまげてしまうとは・・・。あんた達には議員としての、いや人間としてのプライドはないのか?と言いたい。自民党のお家芸は何でもあります。何でもありますはいいが、一応どんな経緯で国民に選ばれたにせよ、筋を通すことは一番大事なことと思う。それが政治家としての最低の条件ではないのか? 選挙に出たいために、啖呵をきって出た所に頭を下げて帰るなんて、あまりにも情けない輩である。今度の選挙ではこのような無節操な政治家には投票しないことである。名前を書いておく。 堀内光雄、保坂武、野田聖子、古屋圭司、山口俊一、武田良太、今村雅弘、保利耕輔、江藤拓、古川禎久、森山祐、(平沼赳夫)

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2006年11月23日 (木)

復調

食当たり?と思われる下痢が1昨日頃より止んできた。昨日は(尾篭な話ですが)久しぶりに元気にガスが出ました。今まで出なかった分まで出ているのではと思うほど、大きな音でしかも連続して・・・。腸がグルグル言わなくなった。やれやれホッとしました。薬を全部抜くとどうなるだろうと以前Drに聞いたことがある。「そんな恐ろしいこと言わないで、でも全く動けないでしょう。」本当にその通りであった。それに加えて全身に激痛、振るえ、等など・・・。熱が出てくると完全に『悪性症候群』状態だろう。 とにかく水分を摂るようにしたのが、よかったのかもしれない。普段から心がけているのではあるけれど・・・。それにしても薬がなければ”全く動けない”事実に少しショックを受けている。昔、この病気になる前は「人間には自然治癒力がある。すぐ薬に頼るのは自然に備わっている治癒力を弱める」などと偉そうに言っていたのである。何と驕り高ぶっていたのだろうと思う、薬がないと生きていけない病もあるのだと謙虚な気持ちで実感している。

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2006年11月15日 (水)

この国のゆくえ

まくわうりの出来損ないのような顔をした安部さんが首相になってから、日本の進路が右に急旋回しだした。 戦後生まれで団塊の世代である。戦争も知らない、貧しさも知らない、多分学校でも成績優秀であったのだろう。家柄がいいサラブレッドなどと言われている。彼の著書『美しい日本』(読んでいない、読む気もしない)が売れているそうだ。初心表明演説でも『美しい日本』ということを強調していた。 しかし、彼のやっていることは言葉とは裏腹である。教育基本法の改正、国会で強い反対にあうこともなく賛成多数で可決された。次は憲法改正をやるだろう。数の力にあかせてこのような暴挙をしていいのか?子供のいじめが問題になっているが、現場の教師も日の丸を拝まなかったり、国歌(君が代)を歌わないと僻地へ左遷されたり勤務評定が異常に低く書かれたりと、凄いいじめにあっている。 それに抵抗する教師も少なからずいるが、ほとんどの教師は(良心的な?)黙っているか、見てみぬふりをしている。黙っているということは、いじめに加担するのと同じである。この国を『美しい日本』にしようと思うなら黙っていてはいけないと思う。黙っていればいるほど『醜い日本』になってしまうだろう。 では、我々に何が出来るのだろう?一人一人がおかしいと声をあげていくこと。選挙を棄権しないで今の内閣に(政府)にノーということ。アメリカはまだ健全な国民感覚が残っていた。右傾が酷くなればバランス感覚を働かせて軌道修正をすることが出来る。日本でそれが出来るか?いまそれをしないととんでもないことになるかも知れない。悔ゆる日のこないよう・・・声をあげ、現政権を交代させよう。黙っているのは自分の首を絞める行為だと認識しておかなくてはならない。

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2006年10月27日 (金)

やっと雨が止みました

土砂降りだった。長い雨が止みました。長らく出来なかったこのブログ再開することが出来嬉しく思います。ぬかるみはあちこちに残っていますが、嬉しくて子供のように飛び回っています。泥んこになっても気になりません。訪問してくださった皆様ご心配かけました。 とりあえず、雨が止んだ報告をいたします。体調は良いときも悪いときもあります。なったなりと開き直っています。

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2006年9月20日 (水)

少しの間休みます

2週間ほど、留守にします。訪問下さったり、書きこみをしてくださったり感謝です。RESSが出来ませんがご容赦ください。

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2006年9月18日 (月)

初めて馬券を買う

昨日(17日)息子が担当している馬(ティアラプリンセス)が、初めてGⅡレースにでることになった。歩いて10分もかからない所に馬券売り場がある。行って見て驚いた。とても沢山のひとが・・・。家族連れや若いカップルもかなりいる。中にはいると大きな画面のTVや色々なレースの中継をするTVがずらりとならんでいる。建物は綺麗で食事をするところまである。(立ち食い)馬券を買いにきたのだがそちらの方に目が行く。値段の高さに驚く。諦める。 いざ、馬券を買おうと思うがどうやって買ったらいいのか分からない。馬券売りの窓口には20人位のおばさんがならんでいる。ティアラプリンセスは6番。武豊の馬は13番。放り捨ててあった競馬新聞に目を通す。本命は8番と出ている。受付にいた叔母さんに馬券の買い方を聞く。ロトくじのような紙を出してくれた。それにかいてある番号を塗りつぶすそうだ。中京、11レース、第24回関西TVローズS、馬単、枠連、ワイド、3連複、3連単、ワイド、色々あるという。分からないので6番と13番と言った。どちらが先になってもいいほうに印をつけてもらう。8番と13番が本命との事。それにも印をつける。500円ずつ買う。1千円と思ったがどちらが先になってもいい方に印をつけたので2千円であった。 レースが始まった。ティアラプリンセス先頭で走っている。後半はバテルかもしれないと少し気にしつつ、武豊の13番を見る。真ん中あたりである。最後のカーブを回ったところで10番が5馬身も後続を引き離していた。逃げ切りかと思ったその時、武豊、13番が飛び込んできた。本命の8番は3着。10番の予想外の健闘に倍率は81倍であった。結果は1着13番、2着10番、3着8番。もし13-10を買っていたら・・・。人間は欲の深い生き物だと思った。最初は記念にと思っていただけなのに、券を買うととたんに欲が出てくる。息子と愛馬がTVに写っただけでいいのだ。人生も競馬と同じで予想外のことがまま起きる。私の病は?想定内か?想定外?か。

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2006年9月12日 (火)

息子の帰省

昨日、久しぶりに息子から電話があった。息子の担当している馬が(ちなみに名前はティアラプリンセス)17日のレースに出ることになった。と。午後3時~4時の『ドリーム競馬』でその勇姿が?見られる。レース前にパドックを一回りする。その手綱を引いているのが息子である。GⅡレースに出られるのはJRAに入って初めてのこと。うれしそうに話す電話の向こうから喜びが伝わってきた。私もうれしくなった。よかったね!!(優勝は2の次だよ)テレビに映るだけでも凄いと思うよ。と言いそうになった。息子の方から「優勝は無理と思うけれど・・・」と言った。 それでも当日は、ティアラプリンセスの馬券を買おうと思う。 そして、18日から20日に帰ってくると・・・。お嫁さんと孫を連れて。ティアラの優勝よりもうれしい出来事。孫に未だ1度も会っていないのだ。どんな顔をしているのか?写真では見ているが・・・。孫孫しないように心の準備をしておかなくては・・・。

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2006年9月 9日 (土)

捨てがたい

頑張らないでのHP、閲覧できるようにする。長年親しんだHPである。やはり捨て難い。病になってから今までに色々なものを捨ててきた。(やむなく捨てざるをえなかったものもたくさんある)しかし、どうしても捨て難いもの、捨ててはいけないものもある。 友人、(友情)、良心、思い出、など。物を捨てるのは易い。しかし自分からかけがえのないものを、捨ててしまった。悔やんでも悔やみきれない。まだ取り戻すことが許されるなら取り戻したい。時間だけが無常に過ぎていく。

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2006年8月 4日 (金)

市営住宅抽選会

8月2日は市営住宅の抽選会であった。 15時30分開始である。薬を飲む時間だが抽選会に合わせて少し早めに飲む。(15時)抽選会の始まる頃に効きだす予定であった。ところが時間はせまるn薬は効いてこない。慌ててうろたえてしまった。手は振るえが止まらない。こんな時に限って・・・気持ちは焦る。抽選の順番が迫ってくる。背に腹はかえられない。同行人に車椅子を持ってきてとお願いする。 私の申し込んだ西部地区は134人の応募数。空きが出来た時の入居順位を決めるための抽選である。H17年の217戸応募で入居できたのは40戸。全体でみると応募総数1600戸、入居は103戸であった。約16倍率。 入居応募の理由を書く欄がある。(詳しく)それを書いたのだから優先順位の高い人から、入居させるのが公平なやり方と思う。原則、公開抽選となっています。と言うばかり。 抽選は昔ながらの6角形の木箱に、数字を入れて応募者が1回づつガラガラと回して出た玉を職員が読み上げる。これだけ色々な効率化が機械によってなされているのに、未だに木箱をガラガラと回すやり方は? 私はとうとう、抽選番がきたが薬が効かず車椅子に乗って振るえながら抽選機を回した。81番であった。 大勢の前で、車椅子に乗って手を振るわせる姿は惨めで、じろじろ見る人の不躾けさに痛く傷ついてしまった。 せめて手の振るえだけでも止まってくれればいいのに・・・。この時間は普段薬が効いていることが多い。何故昨日に限って振るえが止まらなかったのだろう?

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2006年3月19日 (日)

今、一歩踏み出す勇気

毎年、3月末にパーキンソン病患者の会がある。(1泊2日)対象は主に40代~50代の女性患者である。昨年、始めて誘いを受けた。しかし、退院したばかりでだったので体調に自信がなくお断りした。今年は赤穂で開催するとのメールを頂いた。幹事のKさんがとても熱心で感じよい方で、是非参加してくださいと、メールを2回、手紙を1回、電話を1回、合計4回も誘ってくださった。締め切りは2月末であったが、前日までに返事下さればいいと言われる。今までの人生でこんなにも熱心に誘われたのは始めてであった。そこまで言って下さる熱意にほだされて、出来るだけ参加の方向で検討します。と言った。

最期の電話から半月、「前日までに返事をしてくれればいい」と言って下さったけれど、もうちゃんと返事をしなければと・・・思うもののなかなか結論が出ない。何をためらっているのだろう?母のことも気になる・・・しかしそれだけではない。あと一歩を踏み出す勇気がないのである。体調は今のところまずまず、しかし悪い日も全くないわけではない。特に夜、薬が効きにくい。そのときの症状は右手が激しく振るえ、ヨタヨタ歩きになり立っているのも覚束なくなる。いくら同病の集まりといっても出来ればそんな姿は見られたくない。と・・・。

正に薬、命の身体なのだ。これからそのような姿でも平気で人の中に出ていけるだろうか?未だに一歩が踏み出せないでいる。

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2006年3月 1日 (水)

自分自身の性格

以前に入院していた病院で、臨床心理士によって性格テストをうけた。ひとつのものに拘りすぎる(私の場合はパーキンソン病)、不安感が強いと思われていた。自分自身はそう思っていない。200問くらいある質問にイエスなら○、ノーなら×、どちらとも分からないときは△をつけていく。

後日その結果を聞いて驚いた。心気症、統合失調症(分裂病のこと)、ヒステリー、神経衰弱、偏奇症、病をかくれみのにする傾向がある等など・・・。これでは精神科の病すべてを網羅しているではないか!!驚いてしまった。何故こんな結果が出るのか????

するとDrはそういう傾向があるというだけだから、あまり気にしないようにと・・・。そんな・・・・・・結果を見せておいて「気にしないよう」なんて・・・・・。自分はかなりアバウトな所がある、小さいことは気にしない、大雑把、のんびりや、ボサーッとしている。慌て者、と思っている。人はどう思っているか分からないが、自分は心気症でも、ヒステリーでも神経衰弱でもないと思っている。テストを担当した臨床心理士は本物なのか?

病に関してはかなり勉強した。自分が何故このような病にかかったのか、知りたいと思ったからである。それを不安感とか、心気症と取り違えられているような気がする。

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2006年2月21日 (火)

心が身体に表れる

薬の効きが悪い。ここのところ母のことで弟夫婦とゴタゴタが続いているためだろう。やはり前の主治医が言っていたように、心が不安定になると薬の効きが悪くなるというのは、本当だと実感する。『こんな日もあるさ』と思ってのんびりと構えていよう。『一喜一憂』しない。と自分に言い聞かせている。

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2006年2月19日 (日)

中途半端なプログ

ずっと放りっぱなしにしていたプログを読んだ方からメールを頂いた。何をやっても三日坊主に終わってしまう粘りのない性格。自分でも呆れるくらいである。自分のシンプルなHPを中止してこのプログに移し変えようとしたのであるが・・・。

神経難病という病は今でも分からないことが多く、したがって治療法もない場合が多い。しかも進行していく。そんな病をいかにして受け止めていくか?なかなか自分に起こったこととして受け止められない。病を受容したつもりでも少し何か変化があるとオロオロしてしまう。開き直って「こんな日もあるさ」となかなか思えない。つくずく自分の弱さをお思う。

その弱さはプログ作りにも現れ、中途で投げ出してしまった。しかし、私のプログを見た方が、励まされたという書き込みを見たとき一人でもそのように思って下さる方がいるのなら頑張って続けていかなければと、思いを新たにしている。

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