コムタン
退院して1週間。きょん2さんの「コムタンと私」「その後のコムタンと私」を読んだ。入院中はかなりコムタンが効果あるように思った。退院してからだんだん動きが悪くなった。と書かれてあった。
退院時は調子よかったのに、昨日は少しおかしかった。今日はかなり動きが悪い。嫌な予感。かなり使うのが難しい薬のようである。
退院して1週間。きょん2さんの「コムタンと私」「その後のコムタンと私」を読んだ。入院中はかなりコムタンが効果あるように思った。退院してからだんだん動きが悪くなった。と書かれてあった。
退院時は調子よかったのに、昨日は少しおかしかった。今日はかなり動きが悪い。嫌な予感。かなり使うのが難しい薬のようである。
入院をすることになった。かなり前から少しずつ日内変動が多くなり最近になってオン、オフの入れ替わりが頻繁になっていた。薬が切れるとすくみも酷く、完全無動状態になる。それも最近急に悪化してきたのである。今まで薬効持続時間が短い時で2時間、長く持てば3時間。悪いながらもそれなりに安定していた。オフ状態になっても薬を飲めば20分~30分すれば効いてくるのだから慌てることもなかった。主治医であるODrも「薬に対する反応はいいです。」と言っていた。しかし反応が鈍くなってきたのだ。少しオロッとした。それで薬の変更をお願いすると、意外にも簡単に「いいですよ。」と。但し薬を変える場合は入院をしなければいけないことになっている。何が起こるか分からないというのがその理由であった。
母をショートステイに預かってもらう手続きをさっそくとった。契約は2週間である。場合によっては延長も可能だということなのでありがたかった。母は行くまで「一人で家にいる。」と渋っていたが利用している、ホームヘルプセンターのチーフと、ケアマネージャーさんに話してもらった。「お母さんが一人でいると娘さんが安心して入院出来ない、お母さんのことを心配しながら薬を飲んでいたら効く薬も効かんようになる。」と。それを聞いてやっと納得してくれたのだった。
やれやれと思ったのも束の間、それから行くまでの間に何度同じことを聞かれ、鞄を点検しただろう。持っていくものを一緒に確かめながら鞄をつめていき、「これで全部揃ったから、心配しなくてもいいからね。」と言う。「わかったよ、ありがとう。」30分ほどすると、「タオルはいれた?」確かめる。30分後「パジャマはいれてある?」確かめる。30分後「石鹸は?・・・」「スリッパは?」最後には面倒になって「自分で見てよ。」とつっけんどんにいってしまった。心配症の母は鞄を開けて中の物を確かめる。寝る時を除いて行くまで続いた。
当日母はショートステイから迎えが来る。私はNPO法人に「送り」と「荷物運び」を頼んでvいた。NPO法人の人が迎えに来てくれた時は自分の荷物がまだつめていなかった。急いでその辺りに出したまま散らばっていた自分の持っていく物を手当たり次第に鞄と袋に詰めて病院にきたのであった。
入院の手続きをすませ案内された病棟は『周産期センター』6F病棟であった。2年10カ月前に『40時間無動』で入院した時は、救命救急センターのある棟で「脳神経外科」との混合であった。6F病棟は救命救急センター棟より後に出来たため建物もきれいで何よりも静かであった。窓からはお城も見えていた。考えてみればありがたいことである。入院費用もほとんどかからないのにこんな眺めのよい部屋に入れて、しかも食事代もかからないのである。(母のショートステイの費用もケアマネージャーさんが減額措置をとってくれていた。)4人部屋だ。挨拶をして荷物を片付け始める。パジャマの上下がバラバラ、箸がない、既読済みの本が2冊、スリッパがない(リハビリ用に持っていったスポーツシューズで済ませることにする。箸は割りばしを売店で買って使い捨てにすることにした。それとジャージのズボンを1枚買うことにした。)母がいつもつけている家計簿が入っていた!!(母が自分が持っていく鞄と勘違いしたのであろう。夏のパジャマが入っていたのは事前に気がついて出した。看護師さんが次々とやってくる。「これにサインを」「血圧を測ります」「身長、体重を」「30分後胸部X線撮影と、心電図をとりにいきます。」急いで入院に必要のないものを椅子にもなる箱の中に放り込む。こうして入院生活が始まった。
私以外の3人は糖尿病患者さんだ。血糖値の自己管理を勉強するための教育入院である。60代、70代、80代であった。こんなに高齢になってからの勉強は大変だろうなと思った。出来るのだろうか。私が心配しても仕方ない、人のことより自分のことを考えなくては・・・。変更するのはビシフロールである。同じ非麦角系のアゴニスト薬「レキップ」に変えるのである。ビシフロールは良く効くが眼に副作用が現れることもあるらしい。このところなんだか眼が変なのである、副作用かどうかわからないがぼやけてみえるし、月をみるとリングがかかったように見えるのである。老眼だというには少し違うような感覚である。持続時間が短くなったのを機にレキップに変えてもらおうと思ったのである。
結果は、私の身体は『レキップ』を受け付けなかったのである。維持量を増やしていくたびに動けなくなっていった。12mgになったところが限界であった。まったく動けなくなったのは8日目の晩であった。動かそうと少し力をいれると振るえる、一睡も出来ず朝を迎えた。「もうやめます!!」と叫ぶように言った。ビシフロールを3錠飲んで20分。ようやく起き上がることができた。それを見た同室の3女「あれれれれっ!!魔法をみているような!それにしても薬はこわいなー。」
1日おいて「コムタン」を服用するようになった。日毎に持続時間が延びていく、3女いわく「薬は怖いけれどすごいな~!!!」ダンスを踊ると「動けんように演技してたの?」「不思議な病気じゃなー」「本当に病気なんかな?」と言ったり、何ともかしましい。退院近くなると3女の1人が「あんたは何でも好きな物を食べられていいねえ、うらやましい。」と言い出した。続けて「私ら、朝でも小さなパン1個、ジャムもマーガリンもついていない。リンゴはたった8分の1切れ。何でも食べられるあんたがうらやましい。」
心の中でつぶやいた。「あなたたちは今までさんざん、大層な御馳走を食べ過ぎたから糖尿病になったのでしょう。と。その言葉を飲み込んで私は言った。「あななたちは好きな時にどこにでも行くことが出来る。自由にどこにでも歩いていける、思うように身体を動かせることが出来ていいですね。うらやましい。」と。
以前、近くに住んでいる同病のTさんとの会話を思い出した。彼女は若年性パーキンソン病で20年以上の病歴を持っていた。(私より2~3歳年上)Tさんが私に言った。「あなたはオンとオフがはっきりしていていいね。」と。私は驚いた。私から見ればオフもなく、振戦もないTさんがうらやましかった。手が振るえないから車の運転もしている。私はもうかなり前に免許証を返し、車も処分した。そのことを言うとTさんは言った。「何の病であれ、どちらが辛いかなんて比べられないよね。本人が辛いと思えば辛いのでしょう。」
私は同室の3女に言った。「ごめんなさい。食べたくても食べられない。好きな物が食べられないのは、食べることが大好きな人にとっては、本当に辛い事だと思います。糖尿病を軽くみていましたが、侮れない病と皆さんを見ていて思いました。とても勉強になりました。」といった。
レキップが合わなかったため、入院が3日間のびた。そのことを母に電話する。「いいよ」との返事に安堵する。急激に体調が悪化したのは、母の認知症が進んできたことと関連していると思う。精神的なストレスということである。(このことについては「介護byゆうこ」に書くつもり)コムタンも今のところまずまずである。少しずつ持続時間が延びている。それで21日に退院することになった。
退院前日、主治医から諸検査の説明があった。LDL(悪玉)コレステロール値が少し高いことと、軽い食道炎以外は特に異常ないとのことであった。「レキップは合いませんでしたね。残念です。」と言うと「でもビシフロールが好いということが分かったからよかったでしょう。」と言われた。そうなのだ、ビシフロールの持つ力を再認識出来たことは一つの収穫であった。新しい薬を飲むのは正に”かけ”である、長と出るか半と出るかはやってみなければ分からない。
2601号室、全員が21日昼過ぎに退院することになった。20日の夕食後、3女達は口頭試問形式で学習内容をどれくらい理解しているか、聞かれていた。病の大まかなところは分かっているようであったが、学習したことの細かなところはIさん以外はほとんど答えられなかった。みんな終わった時、Iさんが言った「うちら、糖尿病教室開設以来の落ちこぼれ3バカトリオやね。」すかさず、Eさんが「3バカトリオじゃなくて、3婆婆トリオじゃ!」と言った。部屋中が笑いで満たされた。学習能力は年齢的に???であった3女(婆婆)しかし、現実の生活では、このように生き生きとしたトンチの利いた会話が出来るのだ。何とも愛すべき3女さん達であった。
私は病歴14年、今年8月9日から15年目に入った。病歴20年、30年、40年という長い病歴の人から見ると私はまだ序2段くらいだろうと思う。総回診の時、部長先生から「DBSについてどう考えていますか?」と聞かれた。私は答えた「薬でコントロールできる出来る限り薬で対応していきたい。DBSは今のところ受けるつもりは全くありません。それよりも、G医科大学で第1回目が行われた「遺伝子治療」のほうに期待しています。幸い主治医の先生はG医科大学御出身ですから、窓口はいつでも準備されていると思いますので」
O・Dr「Yさんは日内変動がかなり見られますが、今の所薬に対する反応は良いので調整すればある程度楽になると思います。」
部長「そう、でも遺伝子治療が人に適用され、簡単に治療を受けることが出来るようになるには、道のりはまだ長いよ。薬ではオン、オフを失くする事は望めない、どこまで底上げ出来るかということですね。頑張ってください。}
「はい、明日を信じて明るく、しかし、頑張り過ぎるとすぐドーパミンがなくなってしまいますので、程々に頑張っていきます。」と心の中で返事をした。
薬の効いている時間が極端に少なくなり(1回の服用で1時間30分)、切れると完全無動に・・・足はすくみ1歩もでない。出そうと1!2!1!2!と号令をかけるが床に張り付いたようである。座ると右に倒れる。胃がおかしい。ヘリコバクスターピロリ菌がいるのかも?
進行する病だがこんなに急激に悪化するのはおかしい。それで検査と薬を変えることになった。薬を変える時は入院することになっているのだ。何が起こるか分からないから・・・。
たぶん来週は病院・・・・。まだくたばるわけにはいかない。
1週間くらい前から急激に体調が悪化してきた。
薬がなかなか効かず、効いてきたら1時間ほどで切。進行する病だがこんなに急激に悪化することはあまりないと思う。何か他の病が存在しているのか?1週間前に咽喉が赤く腫れ唾を飲み込むことさえ痛かった。耳鼻咽喉科で診てもらい薬を飲んでいたら3日目には治った。
1時間しか効かないと難儀である。切れると足先が痺れ上に伝わっていく。全身が痺れ、全身が痛くなる。右手は激しく振るえる、しかし体は全く動かない。完全なる無動状態。何とか立つ、歩こうとするものの全く足が出ない。1,2,1,2、と言頭の中で軽快な音楽を、思い浮かべても足が地に張り付いたような感じ。
腹部はポンポンになり、苦しい。眼は開きにくくなる。声もでにくくなる。何かをしようと思っても何も出来ないでいる。ここまで書き込むのがやっと・・・。29日は受診日。どうにかならぬか。どうにもならぬか。ちと大変になってきた。
最近、一回の服薬での薬効時間が短くなった。風邪のせいか?お腹の調子がよくないせいか?季節のせいか?進行したのか?よくわからない。ただひとつはっきりしていることは、去年と同じ状態にはないということだろう。歩みは遅いが少しずつ進んでいく病である。まあ、順調に進行中ということかと思っている。仕方ない、今のところ進行を止める事は出来ないのだ。だからめげない!「ひょっこりひょうたん島」精神で行こう。
と、思っていたら続けて2人の方から電話がかかってきた。2人とも交流会で知り合った方である。病歴は私とあまり変わらない。「最近状態が良くなくて難儀している」と・・・。YさんもIさんも私が診てもらっている先生はどのような先生?と聞かれたので「いい先生ですよ。」と言った。それから2人ともO先生の処に変わってきたのであった。そのころから2人の状態が(私も)あまりよくなくなった。パーキンソン病は15年位を境に急激に進行する場合が多いと・・・いう統計が出ているのをある本で見た記憶がある。Yさんは最近、幻覚が酷くなり入院していたそうだ。だから私の所に電話をかけてきたのは退院後である。「幻覚は改善したものの動きが悪くなった。病院を(医者)変えようと思う。両方よくしてくれると思って入院したのに・・・」つまり幻覚もなくなり動きも良くなることを望んでいたようだ。先生に対する不満もかなり述べていた。E大学病院に行くつもりだと・・・。私の経験からするとどこにいってもあまり変わりはないように思う。ただ先生との相性もあるから・・・大学病院の持つ役割を考えるとあまり、薦められないが・・・。と言ったもののYさんはもう決心しているようであった。Yさんの話を聞きながらドクターが少しお気の毒なような気がした。Yさんの幻覚を抑えながら動きも良くするというのは、なかなか大変である。薬の調整でどこで折り合いをつけるか?色々考えられたことであろう。Yさんは自分の病が進行したということは考えないのだろうか?それとも分かっているけれど認めたくない。受け入れられないのかもしれない。と思ったり・・・。
今年、3月にF県で開催された会で、主催者のO・Yさんに「その状態を簡単に受け入れては駄目!闘わなければいけない。」と言われたことを思い出した。闘える限り闘うことは必要だと思う。だが断念して受け入れなければいけなくなる時もいつかは来るのだ。不毛な闘いを続ければ消滅してしまう恐れもある。どの時点で断念するのか?それは個人個人の判断でするしかないだろう。Yさんの闘いが少しでも良い方向に向かうよう願うばかりである。
Iさん、毎日つらいですね。でも決して希望は捨てないで・・・だって明日か、半年後かに画期的な治療薬が出来るかもしれない。遺伝子治療も第1回目はまあまあ良い結果が出たとのこと。明日を信じて生きていきましょうね。
波をチャップ 〃 〃 〃 かきわけて ひょうたん島はどこに行く、どこに行く 丸い地球の水平線のかなたに 何が待ってるのか?悲しいこともあるだろうさ、苦しいこともあるだろうさ、だけど僕らはくじけない、泣くのは嫌だ笑っちゃおう、進めーひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島(ちょっと、違っているような気がするけれど)
私が尊敬し、信頼しているJ大学病院の先生が編集された本が発売された。少し高いと思ったが(我が家の経済状態からすると・・・エンゲル係数がかなり高い)思い切って購入した。『ここまでわかったパーキンソン病研究』という本である。私がPD病と診断されてから8月9日でちょうど14年になる。その日はとても暑い日でアスファルトの道路から陽炎が立ちのぼっていた。そしてその日は長崎に2回目の原子爆弾が投下された日であった。私にしてみれば、「パーキンソンです。」という宣言は原爆と同じくらいの衝撃であった。
それから14年経った。私に診断を下した医者は簡単そうに「10年は大丈夫!それまでにはいい治療法も出来るよ。」と笑いながら言った。それから14年経つが2~3種類の対症療法的な薬が出てきたのみで、進行を食い止めることも、治すこともできない。原因すら特定できていないのである。この本の編集者でもあるJ大学病院のH・Nドクターは「患者さんのために世界中の研究者が日夜原因解明に向けて、根治的な治療法を模索しています。」と言われた。そのドクターの序文。
ー抜粋ー
パーキンソン病は運動障害のみならず非運動症状も注目されている。・・・・・認知症の合併も多く神経変性疾患としてはアルツハイマー病についで頻度が高い。(アルツハイマー病との関連性も検討されている。)・・・・・またドパミン神経細胞の脱落がパーキンソニズムの発現に寄与していることから、最近注目されている万能細胞の治療ターゲットに、パーキンソン病がなると強調されている。万能細胞の臨床応用の早期実現はパーキンソン病患者から強い要望があることから、その病態解明は焦眉の急であるといえる。
薬物療法に関しては全て対症療法であり、神経保護薬など進行阻止可能な薬剤の開発は臨床応用まで至っていない。パーキンソン病は他の神経変性疾患に比べると病態解明と進歩がみられる。しかし、その原因の全貌解明までは、依然遠いという感があるのは否めない。一刻も早く進行阻止可能な新規治療や根治治療法が実現することを願ってやまない。
世界中の研究者が日夜努力していても、14年前と実情は変わっていない。それだけ脳は複雑かつ精密であるということだろう。上記の文を読むと落胆気味になるが、希望を捨ててはいけない。いつ画期的な治療法が見つかるかもわからないのである。特に遺伝子治療などは既に(自治医科大学で)人への臨床試験が始まっているという。残された課題は(クリアしなければいけないこと)多いけれど、明日を信じ、希望を持って、一喜一憂しないで待っていようと思う。「信じること、諦めないこと。」です。この本の編集者であるドクターも、いつもそう言って私を励まして下さいました。
季節のせいか、最近追加した薬のせいか、病の進行なのか・・・調子がいまいちはっきりしない。薬の効きが悪い。なかなか効いてこない。やっと効いたと何かしようとするともう切れてしまう。3年前の『40時間無動体験』以来、少々のことには驚かなくなった。だが、1日(AM6:00~0:00)18時間のうち8時間も、オフ状態があると・・・さすがにまいってしまう。
筋強剛状態になり、まったく動けなくなってしまう。そうなると最悪・・・神よ、仏よ、アラーの神よ、誰でもいいからお助け下されと呻きながら叫ぶ。ちなみに私は名ばかりであるがクリスチャンである。
29日、5時過ぎ無事に帰還。F県なので飛行機は上昇したと思ったら水平飛行する間もなく、下降に入る。ゴロゴロと滑走路を移動する時間とどちらが長いか?飛行機に乗るたびに思う。ハイテク化された飛行機も飛び立つ時は、滑走路の端まで移動し、勢いをつけなければ飛び立てない。それを見る度に笑ってしまう。陸に上がったペンギンを連想する。助走しないでも飛び立てるように出来ないのかしら。
会は付き添いの人も入れて30人の参加。去年参加されていたH先生、M先生、やむをえない出来事により欠席。しかし、U病院のMドクター、と別の角度から若年性患者のことを考えて下さっているH・K大学のA先生が参加しておられ安堵する。1部は「会のあり方」「近況報告」「質問」などの時間。2部は食べ飲み歌い、語り合い楽しく過ごしましょう。と分かれていた。幹事さんの考えはよいとおもった。メリハリのある会になった。
主催者のOさんの挨拶と今後の会の在り方などの話のあと、右の前の人から順番に近況報告、良かったこと、など自己紹介を兼ねて話していくことになった。順番は最後のほうである。何を話そうか?とあれこれ手帳にメモをする。結局言えた事は9000円でピアノを手に入れて脳の活性化のために毎日2~3時間弾いている。近所の人達はさぞかし迷惑なことだろう。今日はよろしくお願いします。ということしか言えなかった。
近況報告を兼ねた自己紹介が終わると、Q&Aの時間である。三人参加予定のドクターが一人になったこともあり、ドクターへの質問がほとんどである。(中に一人的外れな質問をして、ドクターが困ったような場面が何度かあった。かなり自己顕示欲の強い人のようで少し鼻白む。)だんだん時間がせまってくる。「すくみ」について聞きたいことがあるが・・・同じ人が何度も立て続けに質問するので、なかなかとっかかりが見つからない。思い切って割り込むようにしてドクターに質問した。
「最近、すくみがよく起こり困っています。オフ時だけに出ていたのが、オン時にも出るよになった。どのように考えればいいのか?対策は?どうすればよいか?あまりすくむ時は無理に動いて転んで骨折すると大変だと思うので、トイレに行く時などはって行っています。」「4つんばいになった時、ついでに両手と両膝にモップ様の物をつけていればついでに床もきれいになると思っています。」 ー少し笑いが起こるー
結論を言えば、「すくみ」が出るのは病が進行したということと、オン時に出るすくみは対処が難しいということであった。日本で開発され作られたすくみ対策の薬「ドプス」はあまり効果は期待出来ない。この間、発売された薬「エクセグラン」の話もされた。第一印象はなかなか良いドクターだと思った。やはり私の勘は当たった。(エヘン・・・・・)
ドクターの話を簡単にまとめると以下のようになる。
・信条は「患者が一番困っていることを助けるのが医者の本当の仕事だと思っている。」
・コムタンとLドーパの関係、コムタンを基にしてLドーパを調整していく。
・すくんだ時は1度歩くことを止めて、呼吸や姿勢を整えてから歩く。
・エクセグランはてんかんの薬である。同じ薬が今回パーキンソン病薬として発売された。 商品名は「トレデイーエフ」 治験で得られた結果は、1回の服用量25mgで動きがよくなる。50mgでオンの時間が延びる。それ以上超えると効果はあまり認められない。
・エクセグラン25mgはFP3錠と同等の強さがある。
主催者O氏(病歴30年以上で皮膚科医)の話
・コムタン・使い方は難しい薬だが上手く使えば有効に働く。Lドーパと一緒に服用するようになっているが、30分後くらいに飲むとよく効く。
・血中濃度を一定に保つには、食後に服用する。効きは悪いがジスキネジアは出にくい。
・Lドーパは飲む量よりも、脳にいく量が問題。
・薬が効き過ぎても「すくむ」自分に合った薬の量を調節していくことが何よりも大事。
第一部が終わって部屋に帰ると、主催者のO氏が私に言った。「はったりしてたらだめ!」「自分は絶対立って歩くんだ!という強い意志を持たないと、やがて寝たきりになってしまうよ。」「・・・・・・・」「自分で毎日、こんなことをやってみてごらん。そうすれば少しずつすくまないようになるから。」「・・・・・つまりすくまない動きを脳に覚えさせるのですね。」「そうそう!そうよ。」と言って毎日やっているという足の運動を教えてくれた。私はハッとした。この病は進行する病である。目には見えないが少しずつ進んでいっている。だからすくみも仕方のない事と思っていた。受け入れて病と一緒に生きていくしかない。と思っていたのである。しかし、私の考えは後ろ向きの考えであると悟った。目からウロコが落ちたようであった。簡単に受け入れてはいけないのだ。強い気持ちと意思を持って考え、闘わなければ、O氏のいうように寝たきりになってしまうだろう。
私は病を受容したつもりになっていたが違うのだ。仕方ないとただ諦めていたでけなのであった。O氏は私に受容と諦めの違いを教えてくれた。そのこと一事でも行ったかいがあった。しかし、収穫はもっともっと沢山あったのである。もっと袋を持っていけばよかった。
3月17日、受診日であった。「動きと服薬の記録」をドクターに見せる。オンの時にも「すくみ」が出るようになったっことを告げる。オフ時のすくみは薬が足りていない可能性であることが多いので対処しやすい。しかしオン時に出る『すくみ』は・・・。なかなかやっかいである。病の進行ということも考えられる。ドクターは考え込んでおられた。私は「『新薬・エクセゼラン』が、「てんかん薬」以外に「パーキンソン病薬」として承認されましたね」と言った。
D 「試してみますか?」
Y 「以前、E大学病院で治験に参加しました。」
D 「どうでしたか?」
Y 「偽薬と50、100、200mgの4種類です。私は多分200mgに当たったようで動きは ずいぶんと良くなりました。しかし、副作用もそれに比例するくらいでました。」
D 「どのような副作用ですか?」
Y 「下痢と薬疹です。薬疹は全体ではありませんが足の内股部分にでました。しかし治験担当の先生は副作用ではないといいました。治験が終わると下痢もしなくなり、薬疹も消えました。そして2週間後、急激に体調が悪化しました。」
D 「それでどうしたのですか?」
Y 「入院させてください。と言いました。しかし悪くなっていない。治験とは関係ないと言われ、入院できませんでした。更年期になってくるとホルモンの関係で薬が効きにくい事があると・・・婦人科に・・・そこでホルモン補充剤を処方され飲みました。すると心臓がバクバクしてその薬は中止しました。そして今度は少し欝気味だと精神科に・・・精神科で安定剤を処方されそうになったので、私はうつではありません。と言って帰ってきました。それ以来その病院には行っていません。」
D 「・・・・・・・200mgは多すぎますね。」
Y 「確かに、動きはよくなったことは本当にうれしかったです。ただ副作用が・・・」
D 「それでは、とりあえず1錠・100mgを朝半分・50mg、夕食後50mg飲んでみますか?それなら副作用もほとんどないと思います。」
Y 「・・・・・・そそそうですねえー。」
かくして、再度「エクセゼラン」を服用することになった。治験に参加した時の悪夢が・・・もう過ぎたことだ考えないことにしよう。少しでもよくなると信じて飲んでみよう。18日朝から服用開始する。今日で5日過ぎた。動きはあまり改善なし、お腹が少しゴロゴロする。下痢まではしないが何となく気持ち悪い。6日後には福岡に行くことになっている。どうしよう?焦る、本当にどうしよう?母「何を着ていこうか?」「自分で考えてよ!!私はそれどころではないの心」と言いかけてやめる。何事にも動じない自己の確立を今年の目標にしていたのだ。平常心平常心!!
今度、一緒に行くお友達のご主人さんが、飛行機のチケットを取ってくださった。昨年、東京行きもお世話になった。その上、当日タクシーで我が家に回ってくださるとのこと。おやさしい方である。ありがたいことだ。昨年のチケットの私の名前が「ゆ」でなく「い」になっていた。旅行社の人に言ったら「何かあってもわかります」と・・・。今年もやはり「「ゆ」でなく「い」になっていた。私は弟に言った。「もし、飛行機が落ちたら『ゆいこ』でなく『いいこ』と名前出るから。」と。苦笑いしながら弟は言った。「落ちんじゃろう」何を根拠にそういうのか?でも「落ちるかもしれない」というのも、根拠のないことなのだ。あーあ、こんなことを考えるようでは今年の目標「動じない自己」なんて・・・もっと小さな目標にしておけばよかった。落ちる時は落ちるのだ。それにしてもなんであんな重たいものが時速何百キロで飛ぶのだろう?不思議である。
3月14日付け朝日新聞ー情報フラッシューより
「パーキンソン病の新薬発売」
大日本住友製薬は、パーキンソン病の治療薬を発売した。けいれんを引き起こす、てんかん治療薬として89年に発売した薬をパーキンソン病患者に投与したところ、運動能力の改善が見られ、開発を進めてきた。効果がある理由は詳しく分かっていないが、ドーパミンを分解する酵素の働きを抑制しているためとみられる。」
上記の薬は東大病院に入院していたパーキンソン病の患者が、痙攣を起こしたため、投与したところ「てんかん」だけでなく「パーキンソン病」の症状までよくなった。それでパーキンソン病治療薬としての治験が始まった。4~5年前、治験を担当している東大病院にいたMドクターの講演を聞きに行った。講演後の質疑応答で痙攣を起こした患者のその後の状態を問うた。ヤール度4(または5だったか?失念)であったが、今は元気になり普通の生活をしているとの答えが返ってきた。
その後、10人のパーキンソン病患者にこのてんかん薬を投与。1名は棄権、1名はあまり、変化はみられなかった。後の8人は身体の動きに顕著な改善が見られたそうである。薬名は『ゾニサミド』または『エクセゼラン』という。この情報を聞いた私は地元の大学病院でこの薬の治験に参加した。偽薬、50mg、100mg、200mgの4種類である。どれが当たるかは分からない。服用し始めて1週間ほどすると、明らかに動きがよくなったのを自覚。その後も薬効持続時間が延び、動きは病になる前と変わらないくらいよくなった。
うれしくて、うれしくて、大声で叫びたいほどであった。診察に行くとドクターも「これなら廊下を走れますね。」と驚くほどであった。しかし、2つ良いことはないものだ。副作用が出てきたのである。下痢、発疹(薬疹)等など・・・。多分1番多い200mgだったのかもしれない。治験が終わって2週間経ったころ、急に体調が悪化。パーキンソンの薬を飲んでもあまり、効かず1日のうち動ける時間より動けない時間のほうが多くなり、震えも酷くなった。ドクターがゾニサミド50mg、処方してくださった。しかし、改善しない。100mgに増量するも、1度、増悪した身体は元に戻らなかった。
もう、1度トライしてみたいと思う気持ちと、増悪したときのことを考えると躊躇する気持ちが交錯する今日この頃。(オフの時だけ出ていたすくみが、オン時にも出てくるようになった。ことを考えると・・・確実に進行してきていると思う。ワンス・モア・トライするか?他に方法はないか?)
「頑張らないで1」より | おすすめサイト | パーキンソン病 | 介護・福祉 | 政治・経済 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ
最近のコメント