カテゴリー「パーキンソン病」の記事

2010年8月28日 (土)

難儀な日々

5月末頃から、日内変動がひどくなった。薬を飲むがなかなか効いてこない、やっと効いてきたと思ったら1~1,5時間できれる。切れた途端に全く動けなくなる、しかし手の振えはかなりひどい。座っていても右に倒れる、座位保持が出来ない。歩こうとするが少しでも力を入れると、全身がガクガクブルブル、これでは歩きたくても歩けない。

急激に進行する病ではないと思っていたので、その衝撃はかなり大きかった。歩けるかそうでないかによって、QOL(生活の質)がかなり違ってくる。特に排泄関係のことは深刻だ。何とか自力で行こうとするが、どんなに頑張っても足が動いてくれないのである。階段をイメージしてみたり、大きなかけごえで「よーい、どん、1,2,1,2、・・・」と言ってみてもどうしようもないのだ。仕方なく大きな尿取りパットを当てることになる。全身がブルブルしだすと急激に膀胱が刺激されて尿意をもようするのである。パットを当てるとなかなか出ない。やっと排尿がすみパットを片付ける時の何とも言えない、敗北感。

「以前、Y会で主催者のOさんが、はったりしたら駄目、最後まで自分の足で歩くんだ」という強い意志を持っていなければ・・・・。」と言って色々と、御自分なりの訓練法を教えて下さった。御自身も以前、すくみに悩まされたがいろいろ考えて頑張った。だから今はあまり気にならないと・・・・。その言葉に励まされて私も頑張ってきたのだが・・・・・進行する病には抗することができない。心の持ち方で身体もかなり違ってくることは私も経験している。しかしどのように頑張っても限界があるのだと思う。難病の難病たる所以だろう。

自由に歩行出来ることが、生活の質を低下させないためには必要だと思う。行きたい所に行く、それが出来なくなったら・・・外出するのも怖くなる。いつ「すくむ」かわからない。ドクターに話、薬で調節出来ないかあれこれ、やってみているがなかなか難しい。薬効時間も短くなり、何もかにもが中途半端である。このブログを書くために顔も洗わず書いている。顔を洗ったりシャワーを浴びたりすると、もう切れてくる。

ここまで書くのがやっと・・・すくみに何かよい方法があれば教えて欲しい。8月9日で発病15年になった。

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2010年2月20日 (土)

急悪

1月に記事をアップしてから、1度も更新していない。

その理由として1番は、体調悪化による。薬効持続時間の減少も伴い何かをしていても、薬が切れてくるので、何ひとつ満足に出来ないのである。あれもしよう、こんなこともしてみたい!と始めてみるものの、すぐ薬が切れてしまい中断せざるを得なくなる。今年にはいって、市のリサイクル館で不要になった木綿布を使って草履を作るという講座があった。夏に履くには、これがちょうどいいと思い申し込んだ。(キャンセル)

私がいなくなっても、いつでも歌えるように母のために、童謡・唱歌・抒情歌などピアノ伴奏をテープに吹き込んでおこうと思って始めたものの、未だに完成していない。春に咲く花の種も蒔いておかねばと思うものの、寒い。学生時代近所のおばさん達をみて「なぜ、あんなに何枚も重ね着するのか?」と思った。今、その理由が分かる。結局エネルギーが減少してくるのであろう。かくいう私も最近、両足の指に"

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2010年1月 6日 (水)

シンメトレル

2010年になって早5日経った。1月2日は母の誕生日。誰からも何もない。私がハッピーバースデーの歌を歌ったのみ。3日は今年初礼拝日。1月生まれの人は祝福を受ける。その後何か一言言わなければならない。母はいつも「お正月に生まれたので祝ってもらったことがない。」と同じ事を言う。私は提案した。全く違うことを言えばと・・・。考えた結果英語で自己紹介することになった。それからが大変・・・。

私の息子が使っていた和英辞典を引っ張り出し、英語に訳していく。錆つきかけた頭で必死に考えて出来たのがこれである。文法などチンプンカンプン単語を並べただけの文になった。

my name is Y,O

I  was  born  in  yokohama  juniary 2, 1927

For  war  viorenst an  air  raid  go  home  my  familys of  father parents  house

My life  is hard time  from long ago

But  now  i am happy

Because  i  have  a  gentle  a  girl

And  a  god  followed  me  to  my  life

Thank you  to all  from  ones  heart

何を言っているのかわかるかな、わからないでしょう。メチャクチャなんだから分かるほうがおかしい。

5日、病院にいく。ドクターに診てもらう時は必ず調子がいい。最近の状態を話す。薬が切れると完全無動状態になる、すくみ酷く1歩も前に足が出ない、睡眠効果がないなど・・・。すくみを改善するにはドーパしかない、ドぷスは効かない。といわれる。「シンメトレル」のことをきいてみる。朝晩飲んでみますか?効果の程は?飲んでみないと分からないと。そうだろうさもありなん。薬は出来るだけ増やしたくないが・・・。良いか、悪いか飲んでみなければわからない。インフルエンザが流行っている昨今である。季節性、新型とも予防注射はしているが、シンメトレルを飲んでいればより、インフルエンザにかかりにくくなるだろう。

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2009年12月14日 (月)

いつのまにか・・・。

コムタンの事であれこれあり、とうとう11月は記事をアップすることが出来なかった。

改めて、薬の有難さと怖さを感じている。現在の自分は薬中毒者と似たようなものである。薬が切れると手が振るえ出し、身体は無動状態になる。足を前に出そうとしてもすくんで出ない。しかし以前のように慌てることはない。薬に対する反応は良いのだ。早ければ20分~30分すれば効いてくるからである。ただ効く時間が短くなったことは確かである。それで、コムタンを服用することになったのであるが・・・・・。ドクターはこの薬は合う人と合わない人がハッキリ分かれていく傾向があります。私の身体は薬を受け付けなかった。中止することになったが、急に止めて何か影響はでないかと心配であったが、コムタンの副作用と思われる全身の激しい痺れと心臓の苦しさをと、まったく動けない状況から一刻も早く抜け出したいとの思いから、早速コムタンを中止した。それから1カ月、やっと以前の体調まで復調してきた。全く動けない状態に陥っていた身体は長年飲んでいたビ・シフロールを服用すると、ものの見事に30分後動けるようになったのである。本当に有難かった。ビ・シフロールさま有難うという思いがした。同室の方たち(糖尿病の勉強にきている)は、突然、起き上がってスタスタと歩いてトイレに行く私の姿を見て、狐につままれたような顔をしていた。

そんなこんなで気がつくともう、いつのまにか暦は12月になっていた。11月30日は私の○○回目の誕生日であったが・・・母に言われるまで気がつかなかった。ついに代が変わってしまった。いつのまにこんな時が経ったのだろうと思う。発病してから15年になった。パーキンソン病と宣告を受けた時はまだ40代であった。よくここまでこれたと思う。進行の遅い病とはいえ、年々病は進んでいく。10年持てば何とか治療法も見つかるだろうと思った。しかし15年経った今でも確たる原因はわかっていない。だから当然だあるが治療法も確立していない。対症療法だけである。新しく開発された薬はいくつかあるが、どれも対症療法の薬だ。遺伝子治療も試みられているが、実用化されるには最低でも10年はかかるとか。脳深部刺激術という、小さい小さい針を脳の中に入れて電流を流す方法もできているが、根治的な治療法ではない。

だが明日のことは誰もわからない。1ヶ月後に画期的な治療法が見つかるかもしれない。5年、10年経っても現状とあまり変わっていないかもしれない。誰もどうなるかなどわからないのである。分からないのだから分からないことが分かったと発表されるまでは信じて生きていかねばならない。例えどんなに辛くても泣いてちゃいけない。今生かされているのは?まだ何かなすことがあるということと信じる。唯一でただ1度きりの人生なのだ。クヨクヨしながら生きるより(痛みで顔が歪みそうな時でも)笑い飛ばして明るく生きるのみ。居直り、開き直り、笑いとばして歩いてゆこうと思う今日この頃・・・。もうすぐ冬至がくる。中国の暦では1年の始まりは冬至からとなっているそうだ。

「いくつになっても今日は新しいスタートのとき」

友がくれた絵手紙にかいてあった言葉。とても良い言葉だ、気にいっている。

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2009年10月29日 (木)

コムタン

退院して1週間。きょん2さんの「コムタンと私」「その後のコムタンと私」を読んだ。入院中はかなりコムタンが効果あるように思った。退院してからだんだん動きが悪くなった。と書かれてあった。

退院時は調子よかったのに、昨日は少しおかしかった。今日はかなり動きが悪い。嫌な予感。かなり使うのが難しい薬のようである。

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2009年10月28日 (水)

どちらが辛い?-17日間の入院ー

入院をすることになった。かなり前から少しずつ日内変動が多くなり最近になってオン、オフの入れ替わりが頻繁になっていた。薬が切れるとすくみも酷く、完全無動状態になる。それも最近急に悪化してきたのである。今まで薬効持続時間が短い時で2時間、長く持てば3時間。悪いながらもそれなりに安定していた。オフ状態になっても薬を飲めば20分~30分すれば効いてくるのだから慌てることもなかった。主治医であるODrも「薬に対する反応はいいです。」と言っていた。しかし反応が鈍くなってきたのだ。少しオロッとした。それで薬の変更をお願いすると、意外にも簡単に「いいですよ。」と。但し薬を変える場合は入院をしなければいけないことになっている。何が起こるか分からないというのがその理由であった。

母をショートステイに預かってもらう手続きをさっそくとった。契約は2週間である。場合によっては延長も可能だということなのでありがたかった。母は行くまで「一人で家にいる。」と渋っていたが利用している、ホームヘルプセンターのチーフと、ケアマネージャーさんに話してもらった。「お母さんが一人でいると娘さんが安心して入院出来ない、お母さんのことを心配しながら薬を飲んでいたら効く薬も効かんようになる。」と。それを聞いてやっと納得してくれたのだった。

やれやれと思ったのも束の間、それから行くまでの間に何度同じことを聞かれ、鞄を点検しただろう。持っていくものを一緒に確かめながら鞄をつめていき、「これで全部揃ったから、心配しなくてもいいからね。」と言う。「わかったよ、ありがとう。」30分ほどすると、「タオルはいれた?」確かめる。30分後「パジャマはいれてある?」確かめる。30分後「石鹸は?・・・」「スリッパは?」最後には面倒になって「自分で見てよ。」とつっけんどんにいってしまった。心配症の母は鞄を開けて中の物を確かめる。寝る時を除いて行くまで続いた。

当日母はショートステイから迎えが来る。私はNPO法人に「送り」と「荷物運び」を頼んでvいた。NPO法人の人が迎えに来てくれた時は自分の荷物がまだつめていなかった。急いでその辺りに出したまま散らばっていた自分の持っていく物を手当たり次第に鞄と袋に詰めて病院にきたのであった。

入院の手続きをすませ案内された病棟は『周産期センター』6F病棟であった。2年10カ月前に『40時間無動』で入院した時は、救命救急センターのある棟で「脳神経外科」との混合であった。6F病棟は救命救急センター棟より後に出来たため建物もきれいで何よりも静かであった。窓からはお城も見えていた。考えてみればありがたいことである。入院費用もほとんどかからないのにこんな眺めのよい部屋に入れて、しかも食事代もかからないのである。(母のショートステイの費用もケアマネージャーさんが減額措置をとってくれていた。)4人部屋だ。挨拶をして荷物を片付け始める。パジャマの上下がバラバラ、箸がない、既読済みの本が2冊、スリッパがない(リハビリ用に持っていったスポーツシューズで済ませることにする。箸は割りばしを売店で買って使い捨てにすることにした。それとジャージのズボンを1枚買うことにした。)母がいつもつけている家計簿が入っていた!!(母が自分が持っていく鞄と勘違いしたのであろう。夏のパジャマが入っていたのは事前に気がついて出した。看護師さんが次々とやってくる。「これにサインを」「血圧を測ります」「身長、体重を」「30分後胸部X線撮影と、心電図をとりにいきます。」急いで入院に必要のないものを椅子にもなる箱の中に放り込む。こうして入院生活が始まった。

私以外の3人は糖尿病患者さんだ。血糖値の自己管理を勉強するための教育入院である。60代、70代、80代であった。こんなに高齢になってからの勉強は大変だろうなと思った。出来るのだろうか。私が心配しても仕方ない、人のことより自分のことを考えなくては・・・。変更するのはビシフロールである。同じ非麦角系のアゴニスト薬「レキップ」に変えるのである。ビシフロールは良く効くが眼に副作用が現れることもあるらしい。このところなんだか眼が変なのである、副作用かどうかわからないがぼやけてみえるし、月をみるとリングがかかったように見えるのである。老眼だというには少し違うような感覚である。持続時間が短くなったのを機にレキップに変えてもらおうと思ったのである。

結果は、私の身体は『レキップ』を受け付けなかったのである。維持量を増やしていくたびに動けなくなっていった。12mgになったところが限界であった。まったく動けなくなったのは8日目の晩であった。動かそうと少し力をいれると振るえる、一睡も出来ず朝を迎えた。「もうやめます!!」と叫ぶように言った。ビシフロールを3錠飲んで20分。ようやく起き上がることができた。それを見た同室の3女「あれれれれっ!!魔法をみているような!それにしても薬はこわいなー。」

1日おいて「コムタン」を服用するようになった。日毎に持続時間が延びていく、3女いわく「薬は怖いけれどすごいな~!!!」ダンスを踊ると「動けんように演技してたの?」「不思議な病気じゃなー」「本当に病気なんかな?」と言ったり、何ともかしましい。退院近くなると3女の1人が「あんたは何でも好きな物を食べられていいねえ、うらやましい。」と言い出した。続けて「私ら、朝でも小さなパン1個、ジャムもマーガリンもついていない。リンゴはたった8分の1切れ。何でも食べられるあんたがうらやましい。」

心の中でつぶやいた。「あなたたちは今までさんざん、大層な御馳走を食べ過ぎたから糖尿病になったのでしょう。と。その言葉を飲み込んで私は言った。「あななたちは好きな時にどこにでも行くことが出来る。自由にどこにでも歩いていける、思うように身体を動かせることが出来ていいですね。うらやましい。」と。

以前、近くに住んでいる同病のTさんとの会話を思い出した。彼女は若年性パーキンソン病で20年以上の病歴を持っていた。(私より2~3歳年上)Tさんが私に言った。「あなたはオンとオフがはっきりしていていいね。」と。私は驚いた。私から見ればオフもなく、振戦もないTさんがうらやましかった。手が振るえないから車の運転もしている。私はもうかなり前に免許証を返し、車も処分した。そのことを言うとTさんは言った。「何の病であれ、どちらが辛いかなんて比べられないよね。本人が辛いと思えば辛いのでしょう。」

私は同室の3女に言った。「ごめんなさい。食べたくても食べられない。好きな物が食べられないのは、食べることが大好きな人にとっては、本当に辛い事だと思います。糖尿病を軽くみていましたが、侮れない病と皆さんを見ていて思いました。とても勉強になりました。」といった。

レキップが合わなかったため、入院が3日間のびた。そのことを母に電話する。「いいよ」との返事に安堵する。急激に体調が悪化したのは、母の認知症が進んできたことと関連していると思う。精神的なストレスということである。(このことについては「介護byゆうこ」に書くつもり)コムタンも今のところまずまずである。少しずつ持続時間が延びている。それで21日に退院することになった。

退院前日、主治医から諸検査の説明があった。LDL(悪玉)コレステロール値が少し高いことと、軽い食道炎以外は特に異常ないとのことであった。「レキップは合いませんでしたね。残念です。」と言うと「でもビシフロールが好いということが分かったからよかったでしょう。」と言われた。そうなのだ、ビシフロールの持つ力を再認識出来たことは一つの収穫であった。新しい薬を飲むのは正に”かけ”である、長と出るか半と出るかはやってみなければ分からない。

2601号室、全員が21日昼過ぎに退院することになった。20日の夕食後、3女達は口頭試問形式で学習内容をどれくらい理解しているか、聞かれていた。病の大まかなところは分かっているようであったが、学習したことの細かなところはIさん以外はほとんど答えられなかった。みんな終わった時、Iさんが言った「うちら、糖尿病教室開設以来の落ちこぼれ3バカトリオやね。」すかさず、Eさんが「3バカトリオじゃなくて、3婆婆トリオじゃ!」と言った。部屋中が笑いで満たされた。学習能力は年齢的に???であった3女(婆婆)しかし、現実の生活では、このように生き生きとしたトンチの利いた会話が出来るのだ。何とも愛すべき3女さん達であった。

私は病歴14年、今年8月9日から15年目に入った。病歴20年、30年、40年という長い病歴の人から見ると私はまだ序2段くらいだろうと思う。総回診の時、部長先生から「DBSについてどう考えていますか?」と聞かれた。私は答えた「薬でコントロールできる出来る限り薬で対応していきたい。DBSは今のところ受けるつもりは全くありません。それよりも、G医科大学で第1回目が行われた「遺伝子治療」のほうに期待しています。幸い主治医の先生はG医科大学御出身ですから、窓口はいつでも準備されていると思いますので」

O・Dr「Yさんは日内変動がかなり見られますが、今の所薬に対する反応は良いので調整すればある程度楽になると思います。」

部長「そう、でも遺伝子治療が人に適用され、簡単に治療を受けることが出来るようになるには、道のりはまだ長いよ。薬ではオン、オフを失くする事は望めない、どこまで底上げ出来るかということですね。頑張ってください。}

「はい、明日を信じて明るく、しかし、頑張り過ぎるとすぐドーパミンがなくなってしまいますので、程々に頑張っていきます。」と心の中で返事をした。

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2009年10月 1日 (木)

入院

薬の効いている時間が極端に少なくなり(1回の服用で1時間30分)、切れると完全無動に・・・足はすくみ1歩もでない。出そうと1!2!1!2!と号令をかけるが床に張り付いたようである。座ると右に倒れる。胃がおかしい。ヘリコバクスターピロリ菌がいるのかも?

進行する病だがこんなに急激に悪化するのはおかしい。それで検査と薬を変えることになった。薬を変える時は入院することになっているのだ。何が起こるか分からないから・・・。

たぶん来週は病院・・・・。まだくたばるわけにはいかない。

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2009年9月22日 (火)

悪化

1週間くらい前から急激に体調が悪化してきた。

薬がなかなか効かず、効いてきたら1時間ほどで切。進行する病だがこんなに急激に悪化することはあまりないと思う。何か他の病が存在しているのか?1週間前に咽喉が赤く腫れ唾を飲み込むことさえ痛かった。耳鼻咽喉科で診てもらい薬を飲んでいたら3日目には治った。

1時間しか効かないと難儀である。切れると足先が痺れ上に伝わっていく。全身が痺れ、全身が痛くなる。右手は激しく振るえる、しかし体は全く動かない。完全なる無動状態。何とか立つ、歩こうとするものの全く足が出ない。1,2,1,2、と言頭の中で軽快な音楽を、思い浮かべても足が地に張り付いたような感じ。

腹部はポンポンになり、苦しい。眼は開きにくくなる。声もでにくくなる。何かをしようと思っても何も出来ないでいる。ここまで書き込むのがやっと・・・。29日は受診日。どうにかならぬか。どうにもならぬか。ちと大変になってきた。

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2009年9月 8日 (火)

進行?

最近、一回の服薬での薬効時間が短くなった。風邪のせいか?お腹の調子がよくないせいか?季節のせいか?進行したのか?よくわからない。ただひとつはっきりしていることは、去年と同じ状態にはないということだろう。歩みは遅いが少しずつ進んでいく病である。まあ、順調に進行中ということかと思っている。仕方ない、今のところ進行を止める事は出来ないのだ。だからめげない!「ひょっこりひょうたん島」精神で行こう。

と、思っていたら続けて2人の方から電話がかかってきた。2人とも交流会で知り合った方である。病歴は私とあまり変わらない。「最近状態が良くなくて難儀している」と・・・。YさんもIさんも私が診てもらっている先生はどのような先生?と聞かれたので「いい先生ですよ。」と言った。それから2人ともO先生の処に変わってきたのであった。そのころから2人の状態が(私も)あまりよくなくなった。パーキンソン病は15年位を境に急激に進行する場合が多いと・・・いう統計が出ているのをある本で見た記憶がある。Yさんは最近、幻覚が酷くなり入院していたそうだ。だから私の所に電話をかけてきたのは退院後である。「幻覚は改善したものの動きが悪くなった。病院を(医者)変えようと思う。両方よくしてくれると思って入院したのに・・・」つまり幻覚もなくなり動きも良くなることを望んでいたようだ。先生に対する不満もかなり述べていた。E大学病院に行くつもりだと・・・。私の経験からするとどこにいってもあまり変わりはないように思う。ただ先生との相性もあるから・・・大学病院の持つ役割を考えるとあまり、薦められないが・・・。と言ったもののYさんはもう決心しているようであった。Yさんの話を聞きながらドクターが少しお気の毒なような気がした。Yさんの幻覚を抑えながら動きも良くするというのは、なかなか大変である。薬の調整でどこで折り合いをつけるか?色々考えられたことであろう。Yさんは自分の病が進行したということは考えないのだろうか?それとも分かっているけれど認めたくない。受け入れられないのかもしれない。と思ったり・・・。

今年、3月にF県で開催された会で、主催者のO・Yさんに「その状態を簡単に受け入れては駄目!闘わなければいけない。」と言われたことを思い出した。闘える限り闘うことは必要だと思う。だが断念して受け入れなければいけなくなる時もいつかは来るのだ。不毛な闘いを続ければ消滅してしまう恐れもある。どの時点で断念するのか?それは個人個人の判断でするしかないだろう。Yさんの闘いが少しでも良い方向に向かうよう願うばかりである。

Iさん、毎日つらいですね。でも決して希望は捨てないで・・・だって明日か、半年後かに画期的な治療薬が出来るかもしれない。遺伝子治療も第1回目はまあまあ良い結果が出たとのこと。明日を信じて生きていきましょうね。

波をチャップ  〃  〃  〃  かきわけて ひょうたん島はどこに行く、どこに行く 丸い地球の水平線のかなたに 何が待ってるのか?悲しいこともあるだろうさ、苦しいこともあるだろうさ、だけど僕らはくじけない、泣くのは嫌だ笑っちゃおう、進めーひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島(ちょっと、違っているような気がするけれど)

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2009年8月14日 (金)

最近読んだ本から

私が尊敬し、信頼しているJ大学病院の先生が編集された本が発売された。少し高いと思ったが(我が家の経済状態からすると・・・エンゲル係数がかなり高い)思い切って購入した。『ここまでわかったパーキンソン病研究』という本である。私がPD病と診断されてから8月9日でちょうど14年になる。その日はとても暑い日でアスファルトの道路から陽炎が立ちのぼっていた。そしてその日は長崎に2回目の原子爆弾が投下された日であった。私にしてみれば、「パーキンソンです。」という宣言は原爆と同じくらいの衝撃であった。

それから14年経った。私に診断を下した医者は簡単そうに「10年は大丈夫!それまでにはいい治療法も出来るよ。」と笑いながら言った。それから14年経つが2~3種類の対症療法的な薬が出てきたのみで、進行を食い止めることも、治すこともできない。原因すら特定できていないのである。この本の編集者でもあるJ大学病院のH・Nドクターは「患者さんのために世界中の研究者が日夜原因解明に向けて、根治的な治療法を模索しています。」と言われた。そのドクターの序文。

ー抜粋ー

パーキンソン病は運動障害のみならず非運動症状も注目されている。・・・・・認知症の合併も多く神経変性疾患としてはアルツハイマー病についで頻度が高い。(アルツハイマー病との関連性も検討されている。)・・・・・またドパミン神経細胞の脱落がパーキンソニズムの発現に寄与していることから、最近注目されている万能細胞の治療ターゲットに、パーキンソン病がなると強調されている。万能細胞の臨床応用の早期実現はパーキンソン病患者から強い要望があることから、その病態解明は焦眉の急であるといえる。

薬物療法に関しては全て対症療法であり、神経保護薬など進行阻止可能な薬剤の開発は臨床応用まで至っていない。パーキンソン病は他の神経変性疾患に比べると病態解明と進歩がみられる。しかし、その原因の全貌解明までは、依然遠いという感があるのは否めない。一刻も早く進行阻止可能な新規治療や根治治療法が実現することを願ってやまない。

世界中の研究者が日夜努力していても、14年前と実情は変わっていない。それだけ脳は複雑かつ精密であるということだろう。上記の文を読むと落胆気味になるが、希望を捨ててはいけない。いつ画期的な治療法が見つかるかもわからないのである。特に遺伝子治療などは既に(自治医科大学で)人への臨床試験が始まっているという。残された課題は(クリアしなければいけないこと)多いけれど、明日を信じ、希望を持って、一喜一憂しないで待っていようと思う。「信じること、諦めないこと。」です。この本の編集者であるドクターも、いつもそう言って私を励まして下さいました。

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