カテゴリー「「頑張らないで1」より」の記事

2006年8月 1日 (火)

HP「頑張らないで」休止

「頑張らないで」HP一時休止致しました。閲覧できません。やはり掲示板の書き込みが出来ません。手直ししていたら、又パソコンが変になりそうなので(PCのPTSDに罹患したのかも・・・)いじるのはやめました。「頑張らないで2」のブログに掲示板が出来ればいいのですが・・・。 こちらへほとんど引越しをしたため、2つを管理するのは現在の私には負担です。今まで超シンプルなHPを訪問して下さった方々、ありがとうございました。掲示板はありませんがコメント書き込んで下されば幸いです。

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2006年7月30日 (日)

「頑張らないで1」引越し

昨日、汗をかきながら「頑張らないで1」の引越しをしました。リンクを持ってくるかどうか?悩んでいます。掲示板はうまくいきません。諦めるしかないようです。残念!引越しはしたものの「1」がなくなったわけではないので同じものを持ってきても・・・。まっ!いいか。と自分一人で納得している。

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2006年7月29日 (土)

身体は病んでも

しなやかな心

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉がある。病になるまではあまり気にすることもなかった。しかしこの言葉はおかしい、額面どおりにとれば、病んだ人間は精神が不健全ということになる。健全な精神とは?どのような状態だろう。奢らない、謙虚、高ぶらない、妬まない、自分の利益のみ考えない、情け深い、こう考えていくと病んでいるいないという事はあまり関係ないと思える。確かに大変な病になれば気が弱くなったり、不安に襲われたりすることは否めない。寧ろ病んでからの方が精神は健全になったような気がする。身体は病んでも心は病まないでいたい。しなやかな心を持って生きていきたい。不健全な肉体だからこそ健全な精神を持ちうることが出来る。大変な思いをしたからこそ、他人の痛みが解る、高ぶらなくなる、情け深くなる。でも自分と同世代の人が溌剌と行動しているのを見ると、羨ましいと思うことも珠にはある・・・。

素晴らしいドクター

パーキンソン病は徐々に進行していく病である。主治医とのつきあいも長くなってくる。どのような医者と出会うかで予後にかなり違いが生じてくる。私が発病したのは44歳の時であった。Lドーパは不足したドーパミンを補う薬である。始めて飲んだ時は振るえが綺麗に消失した。魔法の薬のように思った。だがよく効く薬は副作用も強い。若くして発病した場合Lドーパはなるべく使わない、長いスパンで考えなければならない。最初から使うと早い人で2、3年で薬の効きが悪くなり副作用に悩まされる。最初に私はいきなりLドーパを処方された。年寄り(70歳以上)ならそれでいいのだろう。しかし私は44歳であった、しかしそれはあまり考慮されなかった。5年経った頃から副作用に悩まされ効果減弱に苦しんでいる。 同じ頃に発病した人でもLドーパの副作用を考えて処方は出来るだけ少なく抑えてきた人で仕事を続けている人がいる。進行の度合いは人それぞれだと思うが私も、そのような医者に最初に出会っていたら、今のような状態にはなっていなかったのではないかと思う。

病気になっても何も治療しないでいたらどうなっていたかと思う。少し位命が短くなったとしても副作用に苦しみながら生きるのとどちらがいいだろうかと考える。最近思い切って主治医を変えた。患者の気持を汲んでくれる感性を持ちなおかつ有能な臨床医として、又研究者として素晴らしい先生である。「共に頑張りましょう」という言葉で励ましてくださる。病と共に人間をしっかり見ている。手の離れた患者のことまで真剣に心配してくれる心優しいドクター。その先生の名は、服部信孝先生。(順天堂病院)臨床医として素晴らしい実績を持っている香川県立中央病院の山本光利先生に紹介して下さった。『頑張らないで』に書いた堀口淳先生も、お忙しい中励ましのメールを今でも送って下さる。秋山智先生は患者の気持を理解し、共感出来る豊かな想像力を持っている。 病にならなければ決して出会う事のなかった先生たちである。

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途中下車

出会い

誰しも病になって、目が不自由になったり肢体が不自由にになる事が、よい出来事であるわけはない。しかし多くの人が同じ苦しみに耐えているのを知ると、自分に与えられた運命だけではないと思うようになる。この病、この不運がなかったら耐える力も、人生を深く考えることもなかったと思う。そしてこんなにも、素晴らしい人に出会い、愛を受けることはなかったと思う。

H・K氏。 インターネットで同じ難病で悩んでいる人との情報交換をしようと、メール友達を募集したのが最初の出会いであった。自身のお母さんが同じ病で苦しんでいるので、私の事が他人ごとと思えないとメールを送ってくれたのがきっかけであった。それから3年ちかく私にとってなくてはならない心友となって私を支え続けてくれている。

S・Iさん。 順天堂病院に入院したとき出会った。彼女と病名は違うけれど進行性の神経難病である。彼女も常に私を励まし、素敵なメッセージを送ってくれる。かけがえのない戦友である。

K・Oさん。 専門学校で出会った。聡明で優しく実のある女性。1を聞いて10を知る。頑張りやさんで自分の事より人の事を先に心配してくれる。

E・I氏。 毎日インターネットを通して聖書のメッセージを送ってくれます。元気がでます。行動力があります。昨年会いに来て下さいました。もう駄目だと思って楽になりたいとメールした時、行きますと言う返事が・・・。行動の人、言葉だけでない力付けられます。

H・Oさん。 私が老人ホームに勤めていた時、ボランティアで来てくれていた。最近になって知りました。アップルを通して近くに住んでいる事を知りました。入院中メールや絵手紙で、励ましを送ってくれました。お礼を言うと当然と言った感じで「仲間ですもの」と言ってくれました。

そして、『アップル』の方々。皆さん、心優しき人達です。

まだまだ、沢山の人がいます。もう書き切れません。御免なさい。N・Uさん。S・Oさん。H・Kさん。Y・Mさん。

支えられて 若い時の自分を考えてみると、自分ひとりで生きているという気持を持っていた。病が進行してくるにつれてその思いは、如何に傲慢な考えであったかと思う。自分の周りの人達、目には見えないけれど、どれだけ沢山の助けや、配慮が注がれてきたかと感じるようになった。

『人間を見つめて』より 神谷美恵子著

苦しみというものは、人間が初めて人間の生の条件を自覚する契機なのだと思う。人は生きがいを「何かすること」に求めて探しまわる。しかし、まず人間としての生を感謝とよろこびのうちに謙虚に受け止める「存在のありかた」が大切である。こう思えると、何もすることができないような病の床にあっても、感謝して安らうことができる。どのような姿で存在していても、存在させられているそのことの中に、私達にはよく分らない存在の意義を発揮している。有用性の観点からのみ人間の存在意義を測ってはならない。何が有用であるかさえ、人間は本当にわからないのではないか。私達の命は、内外の自然の力や、多くの動植物の犠牲や、沢山の人の犠牲や助けによって支えられているのである。それは許しと恩恵の集積である。せめて意識をもって生かされている間は、自分を支える許しと恩恵の重みを自覚し、よくかみしめたい。・・・この果てしない宇宙の中で、たまたま不思議にも人間としての生命を与えられたことを大切にし、同類同士の間の、ほんの束の間の出会いをも大切にしないではいられないだろう。

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その女性の不幸は・・・。

心に寄り添う

日野原重明著 「生き方上手」より

30分ほどのあいだに、患者さんのこわばった表情が見る間に和らいでいく・・・。私はただ、患者さんの目線に合わせてベッドの傍らに座り、その手を取って、思いのあれこれに耳を傾けていただけなのです。呼吸さえ困難なはずの・・・笑みまで浮かべ、やっと本音を聞いてもらえたと言った。「一番辛いことは何ですか」の問いかけに、彼女は「不安な心の内を誰かに聞いてほしいのに、誰にも話せず、聞いてもらえそうもなく、ずっと一人でこらえてきたことです。」と答えました。彼女がホスピス病棟に入院してきたのはつい先日のことで・・・医師に説明を求めるのも気がひけた。自分があまり先が長くないとは思っていた。医師とのあいだにコミュニケーションが成立していなかったことは明らか。医療の対象は「病」ではなく、あくまで「人」なのです。その女性の不幸は、癌であったということよりも、不安を語れなかったことである。

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医療について

よりよい医療を受けるために

パーキンソン病と診断されてから8年になりました。8年で5人のドクターに診てもらいました。どのドクターもとても良い先生でした。慢性疾患ですからドクターと信頼関係が上手く築けるかどうかは大切なことです。医師は患者の話や訴えをじっくりよく聞くことが必要でしょう。短い診察で患者はどれほどのことも言えない、言ってもなかなか医師に届かない。医師は高所から病人の問いに「答えにならない医学的知識」を述べる。若い医者になるほどその傾向がある。患者が症状を言うと「そんなはずはない」と言う。患者からの訴えや不安や問題をよく聞かないで正確な病気の診断をすることが出来るのだろうか。人間を診ないで検査データだけしかみない医者が多くなった。そこには信頼関係も生まれてこないだろうと思う。医者や看護師は患者の重い病、難病、耐えかねる痛みなどについてどれだけ理解しているのだろう。と思う。患者の苦しみや不安は、脈拍や血圧などのバイタルだけでは分らない。患者の苦しみや不安を汲み取ることの出来る感性を持っているかどうかで患者との関係もかなり違ってくるだろう。

患者自身の意識も変えなければならないと思う。ある程度自分の病について知識を持つ事も必要だろう。お任せしますという態度は、死んでも文句は言いませんと言っているようなものだ。医者に任せておけば治るという気持は捨てることである。医者といえども分らないことの方が多い。検査データに現れなければ「何ともない、気のせいでしょう」と言われる。データに現れない事もかなりある、自分にしか分らない痛みや症状を分ってもらうのはなかなか大変だ。解ってもらうまで何度でも訴えていくしかない。自分の身は自分で守るというくらいの気持を持つこと。場合によっては患者の側から情報を発信することも必要かもしれない。

垣根を超えて

パーキンソン病は運動障害だけでなく、多彩な症状を持っている。病が進んでくると、構音傷害、嚥下障害、排尿障害、精神症状、自律神経症状などが現われてくる。身体の動きを改善することが一番大事なことだと思うけれど、QOLという面を考えると、どれも患者にとってはかなり深刻な問題である。自律神経障害だけみても便秘、体温調節障害、浮腫み、脂肪分泌の異常などどれもQOLの低下に繋がる。それに精神的な問題が加わってくるとますます深刻さを帯びてくる。神経内科医だけでそれらをカバーするのは難しいと思う。出来れば内科医、精神科医、などと連携し様々な症状に対応して欲しいと思う。それとリハビリの専門医、栄養士さんとの連携も出来たらして欲しい、パーキンソン病に限らず神経難病は手強い。チームでの連携医療を心から望んでいるのは私だけではないだろう。

最近の医療について

医療ミスが多発している。ニュースで報道されるのは氷山の一角だと思う。病院に行くのが恐くなる。最新機器や色々な薬が出てきた、検査も色々な方法で行われるようになった。ある程度マニュアルに従っていれば臨床経験の少ない医師でも、そこそこのことは出来る、いわゆる職人的な医者が少なくなったことが要因のひとつのような気がします。(最近、話題になっている本、漫画ですが医療の在り方を考えさせられます。知人が送ってくれました。是非御一読下さい。)

『ブラックジャックによろしく』 佐藤秀峰作 講談社現在8巻まで刊行されています。

医療は抗生物質が出てきて、結核や天然痘などの病を克服した時がピークで(最近は耐性菌の問題も出てきて深刻な問題になっていますが)そこから基本的には進んでいないと思えてなりません。色々な薬が出てきてそれで助かる人も沢山います。しかし効けばその分副作用も強い、病で悪くなるより薬の副作用で悪くなる場合もかなりあるのではないかと思います。検査にしてもかなり危険な検査がある。病を治す為の検査で命を落としていく。恐いことです。病気になっても却って何もしない方がいい場合がある。風邪がその良い例ですね。熱が出たら解熱剤を使って熱を下げる。熱は身体を元に戻そうとして出る、それを薬で無理に下げると何もしないより直りが遅くなる。薬を使うと自然に備わっている治癒力が働かなくなるような気がします。

私はパーキンソン病になって8年目です。今、薬の副作用に悩まされています。もし生活に支障をきたすというギリギリの所まで薬を飲まずにいたら、これほど辛い思いを味わうことはなかったような気がしてなりません。パーキンソン病の薬は劇薬です。現在起こっている症状の半分は薬の副作用によるものと思います。私はこの病気になるまで、風邪をひいても、お腹や頭が痛くても眠れなくても薬は飲まないできました。この病気になって薬が増える度に身体の調子が変になっていった。Lドーパは病が進んでくると欠かせない薬ですが、全然飲まない人とどんな違いがあるのかと?思います。そのような比較をした研究はないので分りませんが。順天堂病院に入院していた時に、4、5年前から手が振るえていたけれど放っていたという55歳の人がいました。振るえが酷くなってきたので始めて病院にきたと話していました。アゴニストを飲んで少し振るえが減少し、少量のドーパ剤でピタッと振るえが止まりました。彼女が4、5年前に病院に行っていたら、副作用で苦しみもっと状態が悪くなっていたのではないかと思いました。

医学の進歩が却って患者を苦しめ新しい病を作り出しているような気がします。勿論、恩恵も沢山受けていますが・・・。 人間は3万数千個近い遺伝子があるそうです。遺伝子の数はチンパンジーとさほど変わらないそうですが・・・。その中から病の原因、遺伝子の塩基配列異常がかなりわかってきたそうです。もう少しで総ての検索が終わると聞きました。単一遺伝子の異常で起こる病は総ての遺伝子が特定されているとの事。しかし今の段階では遺伝子治療出来る病はほとんどありません。病になっても昔のように何もしないで流れに任せるほうが良いような気がします。死ぬ時は死ぬだろうし、治る時は治る。薬を飲むと一時的に楽になるけれど身体の調子は段々変になる。副作用で苦しみながら生きているより、少しくらい人生が短くなっても何もしないで生きて死ぬ方が、自然な形の命の有り方(終り方)ではないかと思う今日この頃です。

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それでも人生にイエスと言おう

人生の意味・生きる目的 ・フランクル著「死と愛」より

ある若い女性が死の数日前に語ったこと。「私にこんなに辛くあたった運命を、感謝しています。」近づいて来る死を彼女はよく意識していた。彼女の横たわっていた寝台から窓を通して、花の咲いているカスタニエンの木が見えた。「この木は、私の孤独における唯一の友です、この木と私は話をするのです。」「樹は言ったのです・・・私はここにいる。私はここにいる・・・私は生命だ、永遠の生命だ・・・」(霜山徳爾訳)

この若い女性は病んで死をまぢかに控えており、かつて持っていたすべての華やかさを失っていた。しかし彼女は、1本のカスタニエンの枝から、人生の意味を悟ったのであった。この日のために、彼女は生きてきてよかったのであった。このような形で自分が生涯の意味を見いだすとは彼女自らも思いもしなかったであろう。最後まで生きてみなければわからないのである。最後の一瞬まで、生きてきた意味の答えは出ないかもしれないのである。(曽野綾子著ー戒老録よりー)

「夜と霧」より

一人の人間がどんなに困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれている。治癒の見込みのない運命に置かれた場合でも、勇気と品位を保つ事が出来る。人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではない。むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。われわれが人生の意味を問うのでなく、われわれ自身が問われる存在なのである。苦悩し抜くこと、苦悩の極みによって昴められうることは充分あった。必要なのはそれを直視することである。

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苦しき日々

病の進行

今年になってから、急激に病状が悪化してきました。発病から8月で12年、身体が思うように動かせない事も、多くなりました。それに付随して、不眠、動悸。頭痛、頭部、胸部の圧迫感、体温調節障害、終日、頭や四肢のしびれ等など。どれも辛いのですが、一番辛いことは・・・。自分の変化です。背中を丸め、ヨタヨタと歩く姿は、100歳の老人のようです。これが自分の姿かと思うと、情けなくて涙が出てきます。どのように頑張っても自分の意志では、どうする事も出来ないのです。顔も表情が乏しくなりました。笑っているのに表情に出ないのです。身体の変化に気持ちがついていきません。受け入れることが出来ずにいます。こんな身体は誰にも見られたくない、惨めな思いをしたくない!自分の弱さが情けなく思えます。進行する病と分っていても、現実に進行してくると、なかなか平静になれません。どうすれば今の自分を受け入れられるか、振るえながら、痛みに呻きながら考えています。しかし、痛みは思考をも奪ってしまうようで、考えがなかなかまとまりません。疲れます、何時まで続く道なのか?と思います。人生において無駄なことは一つもない、何らかの意味がある。そう思って今日まで生きてきました。今、自分が苦しんでいるのは何のためだろう?もう、一度人生の意味を問い直す日々です。

子規さんの闘病記や漱石さんとの間で、交わされた往復書簡を読んでいます。この世のものとは思われない激痛に襲われながら、随処に駄洒落やユーモラスな事も書いたりしている、子規さん。真の「よもだ精神」とは何かを教えてくれます。それにしても同じ人間でありながら、何故んなに違うのかと思います。真のよもだ道を究めるのはなかなかです。漱石に宛てた最後の手紙はかなり切迫した状況が綴られていて、子規の絶叫が聞こえてくるようで涙が出ました。

”痰一斗へちまの水も間に合わず”

「希望とは可能性を信じることである。」と聖路加病院の日野原重明先生が言っていました。希望を失わず「よもだ精神」で生きていきたいものです。言うは安しです、二つ良い事もないかも知れません。良く効く薬は副作用も伴うと思います。飯田史彦氏の著書の中で「ブレイクスルー思考」を知りました。病気はマイナスでなく、病気そのものに価値があるという考え方です。プラス、マイナスという思考法では、超えられない事も、氏の提唱されている「ブレイクスルー思考法」で考えると超えられそうな予感がしています。

問われる者として

人生から何を期待出来るかではなく、私自身がこの辛い生を如何に生きるかが問われているのだ。正岡子規は耐え難い激痛に襲われながらも、自分自身を失うことなく自分の生き方を最後まで貫いた。彼が内的崩壊に陥らずにいられたのは、彼自身の生来の性格、そして俳句に対する情熱、使命感であったと思う。友人の存在も大きかったと思う。特に夏目漱石の存在は大きかったと思う。

絶え難き苦悩を悲惨な苦悩に終らせるのか、勇気と品位をもって誇りある苦悩とするかは自分次第で決まる。どちらを選ぶかと問われれば勿論後者である。その生き方をするためには、自分を病を客観的に冷静に直視しなければならない。苦悩を自ら一生背負って生きる覚悟が必要である。それは弱い人間にとって大変なこと大事業である。使命感を持つ、今の自分はそれがあるか?何かあるはず。自分は何も出来ないけれど、祈ることは出来る。また私には掛け替えのないソウルメイトともいうべき心友がいる。いつも気にかけ励ましてくれる人達の存在。勇気を持って苦悩を誇りあるものとして最後まで生きていかなければと思う。大変なことだけれど・・・。

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病が私にもたらしたこと

個性としての病

自分が神経難病、何故?元気だけが取り柄と思って私。その衝撃は・・・。苦悩の日々、誰にも言わず一人で悶々とする、夜が眠れない。生きる意味、生、死、答えを見つけようと、いろいろな本を手当たり次第読みあさった。ある本を読んでいた時、病は私の個性だと思った。病は自分にとって、障害だと思っていた、しかし個性だと思うと、気持ちが軽くなり、病を受け入れられるような気がした。それまでは、考える事もあまりしなかった、死について真剣に考えるようになった。よりよく、死にたい、そのためには・・・。よりよく生きることが、よりよい死をもたらすと、気づく。生と死は表裏一体なのだと思う。

私に感銘を与えてくれた本

ヴィクトル・E・フランクル著  『夜と霧』、『死と愛』  みすず書房   

星野富弘著 『愛、深き淵より』   立風書房

神谷美恵子著 『生きがいについて』 みすず書房

町沢静夫著 『絶望がやがて癒されるまで』 

田沼靖一著 『遺伝子の夢』 PHP

ミッチ・アルボム著 『モリー先生の火曜日』  NHK出版

遠山高史 『医者がすすめる不養生』  新潮社

小長谷正明著 『脳神経内科』  岩波新書

飯田史彦著 『人生の価値』  PHP    

その他多数 『人生の価値』は知人が送ってくれた本です。まだ読んでいない方一読の価値があります。お薦めします。

『電池が切れるまで』 子ども病院からのメッセージ 角川書店昨年出版された本です。読みながら涙が止まりませんでした。神は何故こんな小さな子供に、大きな試練を与えるのだろう。その答えは子供達が紡ぎ出す言葉の中にあるような気がしました。

『新版・人間をみつめて』 神谷美恵子著 朝日選書

著者は精神科医で長年、らい患者の心のケアに力を注いできた。本書は医師の視点だけでなく、人間としての視点に立って「人のいのちとは、人のこころとは」何かを、探求し”生”を問い直そうとする。人間とは何か、どうあるべきかを考える貴重なヒントを与えてくれる。

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子規さんの原動力

よもだ精神 平成14年11月2日 愛媛新聞・四季録より

人は誰しも必ず病気にかかる。例外はありえない。ささいな風邪でさえいつもの調子と異なって、気がめいったり、不安なことを考えたりする。ましてや死に近づく病気だと分ったとしたら、自暴自棄になるのがオチである。記憶をたぐりよせても病気と闘って、輝かしい業績を残した人は少ない。数少ない中で素晴らしい闘いをたその人が子規だろう。その闘いの軌跡は著作「病床六尺」や「病臥漫録」など描かれている。子規の病気は結核からくる脊椎カリエスだった。結核菌が肉や骨を侵し、穴をあけ、そこからくさっていく。くさった所から膿が出て、激痛が走る。この世のものとは思われない苦しみの中で子規は生活をしていた。しかしこの地獄のつかの間、少しの平安が訪れる。そのとき、子規は本来の自分を取り戻すのである。女性はなぜナンキン、芋、ニンジンが好きか、自分は武将の信玄と謙信、とではどちらが好きなのかを考え、楽しんでいる。とうてい常人には考えられない。なんと子規の作品として残されているものの大半は結核を患ってからのものだったのである。どこに子規のエネルギーがあるのか不思議だった。それが「これだ!」と分ったのは子規記念博物館を訪れたときだった。

「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」

という句に足が止った。この句は教科書に載っているほど有名だ。私は、単純に「柿を食べているとき、遠くから法隆寺の鐘が聞こえる。何てのどかだろう」と解釈をしていた。子規の大好物は柿だったからである。しかし、この句のそばの解説を読んで、とんでもない誤解だと気づき、赤面したのである。法隆寺への旅は覚悟の最後の旅だった。漱石からせん別をもらって、松山から奈良に出かけた。途中激痛が走り、大阪で静養している。痛みをおして、念願の奈良にたどり着き、大好物の柿が食べられたのである。そのとき、遠くから法隆寺の鐘が聞こえてくる。彼岸と此岸がせめぎあっている。ここではかろうじて此岸が勝っているのだ。おそらく子規は柿を食べながら、その瞬間、生を実感しただろう。すさまじい俳句だったのである。死を意識し、克服した人間は強い。

同じ人間でありながら、えらい違いだと改めて、子規さんの凄さを感じました。激痛に襲われて呻きながら、つかの間の平安が訪れると、女性が何故芋が好きか?と考える。この気持、ユーモアと遊び心、松山では”よもだ”と言います。どのような時も「よもだ精神」を発揮しながら生きていきたいなあと・・・。

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