カテゴリー「政治・経済」の記事

2008年4月17日 (木)

脳天気な日本人

ー品格のないマスコミ・痴呆新聞ー

私は「週刊誌」などの雑誌は買わないが、母が時々文藝春秋社から出ている週刊誌を買ってくることがある。週刊誌はテレビのワイドショーのようなものである。芸能人の誰それがどうしたとか、皇室がどうしたとか、どうでもいいようなことばかりが書かれている。読む気にもならないが、ひとつだけ例外の記事がある。それは『新聞不信』というコーナーだ。

4月17日号に掲載されていた記事を読んだ。「然り、然り、同感、同感、その通りである。」と、わたしの思っていたこと(書こうとしていた)をそのまま代弁してくれるような記事であった。

S・B、4月17日号『新聞不信』より

ーいろいろあるぜ、ボイコット法ー

北京オリンピックは、8月8日の開会式まで、4ヶ月を切った。「平和の祭典」は刻一刻と近づく。だが「チベット」「人権」が、重苦しい暗雲となって垂れ込めている。日本の新聞はチベットを忘れ、無邪気に五輪バンザイの紙面を作るつもりか?

興味を持って見ていると「毎日」の国際面に「四川省でまた暴動 中国」という見出しがあった。暴動とは「多くの者が集まって騒ぎを起こし、社会の秩序を乱す。不穏な行動」を指す。ははぁ、チベットの決起は暴動か。その線に読者を誘導する気だな、と納得した。1972年ミュンヘン五輪の最中に、パレスチナ・ゲリラが選手村の塀を破って侵入、イスラエル選手、役員の二人を射殺、九人を人質に取った。だが空港でドイツ警官隊と撃ち合いになり、選手全員とゲリラの多くが死んだ。翌朝、選手村の練習用グランドに世界中の選手が集まり、死者を悼んだ。日本選手だけは出ず、試合に備えて練習をしていた。なぜ出なかったと問われると「上から連絡がなかった」と答えた。連絡などなくても、選手仲間が殺されたのである。

日本の新聞は、オリンピックを「高校野球」にする。純真無垢、努力一筋。フェアのカタマリ。だが勝負に執念。チベットや近くの省にあったのは「暴動」ではない。見て判らないのか。彼らは自由のために戦って死んだのだ。五輪ボイコットの仕方は多種多様である。国として五輪全体を無視。開会式だけ出ない。選手各自の自由参加にする。個々の選手が自分ひとりでボイコットを宣言する。ポケットからダライ・ラマの写真を出して見せる。メダル授与のとき意思表示をする・・・いくらでもある。世界から来る選手の誰かが、このどれかを、きっとやる。日本の選手だけが「オリンピックを成功させよう」と一致団結、1列に並んで掲揚される校旗に感涙か?

高校野球の選手みたいに、五輪選手も練習の虫なのか?自由や人権を考えるヒマない子供か?上からの連絡を待つスポーツ・バカかおうか?新聞はなぜ選手を取材して、チベット問題をどう思うかと訊かないのだろう。彼らも考えているはずだ。

紙面が限られているためか舌足らずな文ではあるが、言わんとすることはよくわかる。もし、私が選手の一人ならば「毒入り餃子問題も解決していないのに・・・人権を平気で踏みにじるような国には行きたくない。ボイコットします。」と言う。

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2007年7月28日 (土)

政権交代

明日は、参議院議員の選挙日である。何も言わない多くの人達も今度ばかりはかなり怒っているはずであろう。安倍総理のやり方、年金問題、入閣している人の幼稚なあまりにも馬鹿のような人達、(類は類を呼ぶ)どのような基準でえらんだのか?おできが出来た位で顔にカットバンを貼る・・・こんな事で人の目を疑惑から反らせられると思っているのか?バカ・アホとしかいいようがない。

自民党を長期政権の座につけるのを許したのは国民である。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必滅の理を顕わす奢れるもの久しからず、ただ春の世の夢の如し」

ほとんどの方が知っているだろう「平家物語」に限らず、あの偉大なローマ帝国も滅んだ。どんなに栄えて永遠に続くものはない。いつかは必ず滅びる。日本も今、自民党政治を代えなければ、とんでもない国になると思う。憲法は改正され、自衛隊は軍隊になるであろう。徴兵制も復活するかも知れない。軍隊にお金をかけて財政が苦しくなると、必ず福祉が切り捨てられる。

今、自民党政権から他の政権に代えなければ自分の子供や、亭主が戦争に行かなければならなくなるかも知れない。正義の戦争などはどこにもない。自分の子供を人殺しにはしたくない。戦争なら人殺しにならなくて個人的な事情で人を殺したら殺人になる。戦争による大量殺人は非人道的の最たるものである。

長崎、広島を見てみるがよい。あの暑い夏の日の朝、広島に人類最初の原子爆弾が落とされた。何故日本に落としたのか?色々諸説はあるが、ドイツやイタリアは白色人種。それに比べて日本は黄色人種である。私はその事もかなり大きい要因であると思う。根底に黄色人種に対する蔑視があったのではないか?もし日本人が白色人種だったら・・・おそらく原爆投下はなかったと思う。

話を元に戻すと、私自身いくら政権が変わっても人間のすることはそう変わらないと思う。ただ長く政権にいるとどうしても、慢心や奢りが出てくる。そのためには、時々政権交代をする・・・選挙民一人一人が、今の自民党政治にノーと意思を示さなければならないと思う。又、自民党に票を入れる人は今の政権のやり方を批判したり、文句を言うことは出来ない。

気がつくといつの間にか戦前のように、自由にものが言えなくなっているかも知れない。事実、現在学校で(教育現場で)どのようなことが行われているか?君が代を歌わなかったとか、国旗に礼をしなかったというだけでマークをされ冷遇されて(僻地へ飛ばすなど)いる教師もいるのだ。

現在の憲法は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係において、差別されない。」 -第14条ー

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」 -第19条ー

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」 -第20条ー

「すべて、国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 -第25条ー

などと個人の権利や、自由が謳われている。この憲法を押し付けられたという理由だけで改正しようとしている現内閣(安倍総理は)の考え方はおかしいと思う。よしんばそうであっても、良いものはよいのである。この憲法は先の戦争で沢山の命が失われたからこそ、出来たものである。日本人の血で贖われた結果ともいえると思う。

このような憲法は、世界でも珍しい。素晴らしい憲法だと思う。現内閣はどのような考えで憲法を改正しようとしているのか?よく分からないが・・・今、それをさせてはならないと思う。そうならないためにも、選挙で現政権を交代させなければならないと思う。政権交代が実現しても、元自民党にいた人達が多い民主党では?と疑問を呈する人もいる。そうかもしれない。でもとにかく一度、長期政権の上に胡坐をかいて、弱い物いじめをする自民党を政権の座から引きおろすということが、必要なのではないだろうか?

民主党が政権を取って、変な政策をするようになれば又、別の党に入れる。何が何でも自民党の時代ではない。ちりも積もれば山になる。大河も最初は1滴のしずくから始まるのだ。1滴が、1票が山を動かす力になっていく。

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2007年7月23日 (月)

選挙

7月29日に参議院議員の選挙がある。今まで私が投票した人は1度も当選したことがない。選挙には棄権しないで出来るかぎり行っていた。私が住んでいる所は超がつくほど保守陣営の強いところである。

いくら、政権が交代しても人間のやることはそんなに変わらないと思っているが、自民党は長く政権に居すぎた。その弊害、傲慢、驕り、などが酷くなっている。一度、政権の座から降ろさなければ、その驕りはますます加速度的に酷くなっていくと思う。

今度は、そのためにも政権を取るのに1番近い政党に(候補者も)1票を投じようと思う。

自民党に投票するなら、どんなことがあっても文句は言えない。憲法改正されようが、福祉を切り捨てられようが、税金が上がろうが・・・である。

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2007年6月12日 (火)

この国の不幸・・・。

最近起こる事件(事故)や政治を見ていると、日本人はいつからかくも堕ちてしまったのだろうと思う。政治家、実業家から庶民に至るまで・・・拝金主義が蔓延している。

コムスンは(介護事業)年寄りを食い物にしたと言われても何の反論も出来ない。コムスンだけでなく有名な会社の上層部の人がマスコミの前で頭を下げる光景を何度見たことか?もういい加減うんざりする。人類が発生した時から今日に至るまで人間は善的な存在ではなかった。本質的に性悪だと認識してきた。しかし今日のように堕落しきってきたのは・・・何がその原因だろう?

そのキーワードは、日本人は内的に絶対的な神という存在を持ち得なかったことにあるのではないだろうか?戦前、戦中は天皇が神と教えられ(マインドコントロール)戦後になると天皇は神から人間になった。仏教は只の葬式宗教になっている。人間世界の決まりごとはあるが人間の本質をついているものではない。

この国の不幸はそこにあるような気がする。はたして内的に神なくしてやっていけるか?例えば、冤罪で刑に処せられた場合、内的に神を持っている人間はこの世で不当な扱いを受けても「真実は神が知っている」と思えるのである。極限状況に置かれた時、「神は信じていない」という人でも思わず「神様助けて下さい」と祈るのではないだろうか。

国の舵取りを安倍首相に任せていていいのだろうか?と思う。彼は憲法を変えようとしている。憲法は国の根幹をなすものである。それを数の論理で押し切って簡単に変えてしまう愚挙を許していいのだろうか?『否』と今声を上げなければ、自由にものを言えない怖い国になってしまうと思う。戦前のような不幸で愚劣な時代に逆戻りすることだけは避けねばならないと思う。

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2007年1月 8日 (月)

政経・スポーツ

昨年の暮れからTVはほとんどみていない。新聞は死亡欄を見るだけである。TVは騒音を発する箱と化している。新聞は(地方新聞→痴呆新聞?)社説も、読者の声欄も、当たり障りのないことばかりで読むべき所がない。やめようと思うが新聞がないとゴミ出しに困るからやめられない。(最近、ゴミの分別が厳しく、生ゴミ・可燃ゴミを出す時に新聞で包んで出す。少しでもビニール袋が入っていれば、黄色の派手なシールをベタッと貼り付けられる。もちろん持っていってくれない。)

【パラドックス】安倍総理が年頭に記者からインタビューを受けていたのをチラッとみた。やはり教育基本法改正の次は『憲法改正』をしようとしている。就任3ヶ月の成果について、「今までの内閣がしようとして出来なかった憲法改正をしたこと」といともあっさりと言った。何故変えようとするのか?その具体的な理由がいまひとつ分からない。

私は現憲法は改正することは反対である。しかし、何故か?と聞かれたら、依って立つはっきりとした理由があいまいなのである。平和を望んで戦争の為のいかなる手段も持たない、戦争放棄を謳っている。平和な状態は良いことである。(どういう状態を平和と定義するのか?考えなければならないが・・・それを考え出すと紙面が足りなくなるので、割愛) 戦争放棄を謳っているなら、もしどこかの国が攻めて来ても、戦いはしないとなっているから、相手のなすがままになっていなければならない。ということになる。平和主義者、非戦主義者を自認している人は(私も含めて)もし、我が家に武器を持った強盗が押し入って、自分の命を奪われそうになった時も闘わずに殺されていかなければならない、ということになる。しかし、人間の持っている防衛(防御)反応で手近にあるものを使って命を守ろうと応戦するだろうと思う。真の平和主義者になるのは大変な覚悟がいるのだ。パラドックス、自己矛盾を感じていつもそこで立ち止まってしまうのである。

スポーツはプロ野球とサッカーだけではない。ということを書こうとしたが、薬が切れてきたので、別の機会に書こう。

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